始末に困る人

仕切り直してみました(2回目)

何も問題ないから私はこのままでいい、と自分で決めて過ごしてみる

私は以前、「自分の幸せは自分で決める」と書きました。

 

自分を責める考えをぐるぐる続けるのをやめたり、

不安や恐れなどの不快な感情も、湧いてきたな。と淡々と見つめて受け入れる、あるいはバッサリ切って流す(とらわれない)ということを続けているのですが、

 

気づいたのは、

自分の思考や感情って、いちいち頑張って捕まえて吟味しなくても特に問題が起こらないってことです。

で、とくに問題が起こらない→安心できている。

安心したりホッとする感覚ってつまり幸福感ってことだと思うのです。

 

 

私は幸せなることについて

・何かを得ること

・問題をなくすこと

だと思っていたのですが、

実は逆で、そういう取り組みを逆にやめていく方が大事なんじゃないかと思います。

 

何かを得ることや、問題をなくすことはつまり

それについて常に思考をめぐらせて

「これをこうして、こうすれば得られる」とか

「あれがああならないように、対処しておいて云々」とか

ぐるぐる考えて、

一生懸命それにしたがって行動を起こしたり努力をしなきゃいけないわけですけど、

そういうものを一旦やめてみます。

 

そうすると、そうやって

・何かを得たい

・問題を解決したい

と躍起になっていた時間、自分自身がちっとも幸せじゃなかったなと気づきました。

 

たぶん私も人から見れば問題と思えることがいっぱいあるのでしょうし、

あなたのそれは良くない!と言いたくなる人もいるかもしれないけど、

 

ひとまずそれはぜんぶ無視して

 

何も問題ないから、私はこのままでいい!!!

 

と自分で決めることにしたのですね。

 

人に何て言われても結局私の人生ですから。

 

感謝の気持ちで生きたいとは私も思っているけど、

感謝は無理やりするのものではなく、自然と湧いてくるものではなければ意味がないと今は思っています。

「感謝するフリ」をしたところで自分も面白くないし、

それってつまり「感謝することで何かいいことが起こってほしい」みたいな取引きなんですよね。

相手にしたってそんな見返り求められても嫌でしょう。だからやめます。

 

それでもうこのままで幸せということにしていい、と決めてしまえばいいんじゃないかと思います。

 

何かを得たり、問題を解決することで初めて「安心だ」と決めるんじゃなくて、

そういうもの関係なく自分で最初に「安心だ」と決めてしまえばいいんじゃないかと。

 

 

まだ実験途中なのですが、そんな感じで体感したことを記録していきたいと思います。