始末に困る人

仕切り直してみました(2回目)

ただ自分から「幸せな自分でいること」を選んでそうなる。

感情や思考にとらわれないこと、を意識してしばらく経ちます。

 

 

どんな自分も許すと決めたので、湧いてくるものすべてそのまま受け入れるイメージで過ごしています。

 

同じように生活しているのに、

イライラしたりモヤモヤしたり、ぐるぐる考え続けて疲れたりすることが確実に減ってきました。

 

不安を催す出来事に強く反応したり、人にされた嫌なことを思い出してイラッ!とすることもありますが、すべてスルー。

(頭の中で復讐して気を晴らしたりもします笑)

そのままにしておくことしばし。。すると消えていく感じ。

 

どんな感情もあっていいんだ、と受け入れる姿勢でいるからか、

何がきてもその「安全な場」に戻れると知っているので、怖くないんです。

 

どんな感情も認めているので、豊かさを感じます。

怒りや不安で満たされてもいいし、

平和や幸せで満たされてもいい、そういう自分であることを選択しているので、

「でもどうせなら楽チンな方がいいよね〜」ってほっこりする方を選んでいます。

 

内面が非常に平和になりました。笑

 

 

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意識的に「自分はどういうふうに過ごしたいのか」に集中しています。

 

いつかこうなりたい、でもいいんですが、

今どうしていたい?と。

 

私はやっぱり安全で平和で幸せな自分がいいなと思います。

だから今、そうであることを選択する感じです。

 

何かがあるから幸せだ、と反応するのではなく、

ただ自分から幸せな自分でいることを選んでそうする。

 

私は何か「結果」があって初めて「幸せ」という反応ができるのだと思っていました。

が、それはどうやら違うようです。

私は何も手に入れてませんが、ちゃんと幸せを感じられるからです。

「今あるものに感謝する」ともいえますが。。常に強く「ああっ当たり前のものたちよ有難う・・・!」とか思ってるわけでもないです笑

ただ、ふとしたときに幸せを感じようとする意思さえあればいいのではないかなと。

 

 

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それと現実に関して、

私は今目に見えているものを確固たる現実と信じていたのですが、

少し違うのではないかと思い始めました。

 

ニュートラルであることを心がけているのですが、

そうやって自分の状態に意識的でいると、自分が見ている世界が展開する様子をただ眺めている感じになります。

感情は動きますし、頭でぐるぐる考えてもいますが、それをただ黙って経験している視点も同時にあるというか。

 

そうすると、感情が動く時や思考が働く時には、決まったパターンがあることに気づきました。

 

「これは嬉しいこと」

「これは望ましいこと」

「これは嫌なこと」

「これはイライラすること」

「これは正しいこと」

「これはダメなこと」

 

現実というのは、ただ世界が私の前に展開しているのですが、

そのもの自体は何の意味も重要性もなくて、

つまりニュートラルであり、

そこに私が一瞬のうちに「これは〜〜なことである」と判断することによって意味や重要性が確定するのではないか?ということです。

 

よく言われる「世界=自分」とはこれのことかな、と感じています。

 

私にとっての世界=私が(個人的思い込みによって)認識した対象が構成する世界

 

で、「認識する」ときにいつも「これは〜〜なことである」がくっついてるから、それに従った感情や考えが自動的に湧いてくるのかな、と。

 

つまり、

 

考えるな感じろ

 

ということじゃないかな。

ぐるぐる考えてるときってたいていネガティブなことをループしてるので。

それなら何も考えないほうが楽かなーって思います。

どうせなら楽チンな方がいいですものね。