始末に困る人

仕切り直してみました(2回目)

自分じゃない誰かに主導権を渡さない=自由であり、すべて自己責任。

 

自分を大切にするとか、

ありのままで生きたいとか、

人生をうまくいかせたいとか、

好きなことを仕事にしたいとか、

 

色々な取り組みをしながら生きているわけですけど、

結局すべての願いは「自分を好きになりたい」なんだなと思いました。

 

そのために私にとって大切なのは、

 

自由であること。

 

 

だと思ったんです。

 

すべての

 

〜〜すべき

〜〜でなければならない

〜〜しないとだめ

 

を、とにかく無くすことでした。

 

なので、別に自分を責めちゃってもいいんです。

責めてる自分を責めるのは

「自分を責めることをやめなければならない」という制限(=自由がない)なので。

 

同じように、

「自分を好きになりたい」と思っていても、

別に自分を好きになれていなくても、かまわない。

自分を好きになれないことを責めるのは

「自分を好きにならなければならない」という制限だからです。

 

 

この視点で過ごすと、

いかに自分がいろんな制限で自分を縛っていたかが見えてきました。

 

表面的なものはわかりやすいんです。

 

・嘘をついてはいけない

・誠実であるべき

・人には優しくしなければならない

・仕事は真面目にこなすべき

・お金を稼いで自立するべき

 

これらはもちろん大切な考え方なのですが、

自分を過剰に制限するのはやっぱり順番が違うと思うんです。

制限した結果自分が苦しくなって、我慢して人に優しくして。。を続けても絶対無理があるので。

これらの項目はまず自分が自由になり、満たされた結果自然と達成されていることなのだと思います。

 

で、私はこういう部分に関してはかなり外すことができてきたと思っています。

 

ただ、もうちょっと微妙な抑えつけというか、

私は「生き方」についていろんな場や人の教えを聞いてきたので、

もちろんそれによって生きやすくなったり、自分を好きになれたりと良い方向へ向かうことができたのですが、

逆にそれによって余計な抑えつけを自分に課していたことにも気づきました。

 

・人のせいにしてはいけない

・自分の不安な声はすべて聞いてあげないとだめ

・ネガティブな感情も感じ切るべき

・みたくないものから目を逸らすのはいけないこと

・周りの人に感謝するべき

・人のアドバイスは素直に受け入れるべき

 

 

決してこれらの教えが間違っているわけではなくて、どれも理想的な姿だと思うんです。

だからこそ皆「ここを目指しましょう」と一生懸命教えを授けてくれるんですよね。

 

ただ、問題は、

私が勝手にこれらを「制限」として自分に課し、

「人のせいにする自分は最低」

「教えられた通りにできない自分は劣等生」

「感謝できない自分はダメ」

「不安を感じきれない自分はダメ」

としていたことでした。

 

生き方を良くしたくて頑張って学んだはずだったのに、それが却って余計な制限を自分に増やしていたんですよね。

まあ、だから結局一周回って自分のせいなんですけどね。。

 

ーーーー

 

結局、自分に自信がなかったんだと思います。

 

だから

「不安な声をすべて聞きましょう!」と言われれば必死でそれに取り組み、

「ここがまだできていないですよ!」と言われれば必死でそれを直し、

「自分で気づけるようになってください!」と言われればできていない自分を責め、

 

完全に自分じゃない誰かの奴隷になっていました。

教えてくれる人がそこに込めてくれた愛にも気づかずに。

なんでできないんだろう、なんでできないんだろう、って自分を責める道具に使っていました。

 

ずっと考えていたんですけど・・・

その、勝手に制限して辛かった自分もただ認めていくと、

結局、最後は自分しかないんだという認識になってきたんです。

 

 

自分で決めるしかないんです。

 

誰か偉い人が言ってたから、成功した人がこうしたから、じゃなくて

自分のことは自分がすべてを引き受けて自分で決めるんです。

その自分の判断を無条件に信じるんです。

 

それが今わたしが大事だと感じていることです。

決めたなら人がなんと言おうとブレさせない。

だって自分が決めたんだから。

 

 

必要なのはその根拠のない自信と覚悟だけじゃないかと思いました。

だから、誰でもできることなのだと思います。

 

自分じゃない何かや誰かに、自分の人生の主導権を渡さない。