始末に困る人

仕切り直してみました(2回目)

「ただ痛みを感じる」 「その痛みをなかったことにせず、認める」その上で、弱く在ることしかできない自分を、出していく。

 

gungungunmachan.hatenablog.com

 

私の課題として「弱さを認めて晒す」ということに触れました。

 

きっかけはこのことだったのですが、

それに見合うように、今の自分の課題というか、

ここが大事だよっていうことを自覚させてくれる出来事が

ぽこぽこ出てきていて、

 

その都度「自分と向き合う」を意識してはいるものの、

 

なんだか追いつかないというか。。。

今までと同じパターンのように見えて、

でも少し違うステージなのかもしれないと感じています。

 

今日、私は一つ決断せねばならないことがありました。

 

決断というほど大げさなものでもないですけど。。

 

先日祖母といざこざがあり、揉めて帰ってきた後、

母親から「おばあちゃんに謝って」という連絡がきました。

 

細かいことは省きますが、

「謝って」というのは、

「お前が悪いんだから謝りなさい」という意味ではなく、

「とりあえず形だけ謝っておけば収まるんだから、謝って」という意味です。

 

私が謝れば、祖母もとりあえずは機嫌を直し、

母に八つ当たりする回数も少なくなる可能性がある。

 

・・・可能性がある、だけで、

そんな期待は何度も裏切られてきたし、

一度収まったとしてもまた火山が噴火するのは時間の問題ということは、

わかりすぎるほどよくわかっていて。

 

でも、母を責める気にもなれなくて。

 

何度も思いました。

「お母さんがそういう態度だからいつまでも平行線なんだよ」って。

 

母も祖母にはほとほと嫌気がさしているのはよく分かっていたし、

子供のころから「お母さんがいかに我慢しているか」を聞かされ、

見せられてきていて。

子供の頃は、単純に「嫌なら嫌って言って、戦ってよ!」と思ったし、

そのせいで少なからず私や兄に被害が及んでいるのに、

祖母のご機嫌伺いに奔走する母を恨めしくさえ思っていました。

 

今も、その頃の傷は癒えたか?といえば、全然。

思い出すだけで発狂しそう。

でも本当に母が悪い、変わってよ、って責めるのも違うってことは、

今はよくわかるんです。

母が我慢することで、助かっていたことだってもちろんある。

だからということじゃないけど、

母がそういう選択をしてきたことは私の領域じゃないし、そこに口を出したところで意味がないと思うんです。

 

でも、わかるけど、気持ちはまた別で。辛いものは辛くて。

 

「私が謝れば、とりあえず収まるんだし」

「大人げないよ、意地になるのは」

「謝らないとお母さんがまたイジメられる」

 

そう「大人の私(頭)」が畳み掛けてくる一方で、

 

「どうしても謝りたくない」

「あの人(祖母)は、言ってなはらないことを言った(とても書けない言葉ですが、私の大事な人を侮辱する発言をしました)。どうしても許せない」

「私が謝ってしまったら、大事な人が侮辱されたのを許すことになる、それだけは耐えられない」

 

と、感情がどうしてもそこへ進ませないのです。

 

どうすればいいのかまったくわからないまま過ごし、そして今日。

 

 

 

ちょっと話が変わるんですが、

それで今朝大学にきて、

かつて私とトラブルのあった同僚(Kさん)が異動するのに、

みんなで一言ずつメッセージを書くんですけど、

それが回ってきていて。

 

いずれこれを書くのはわかっていたから、

無難に「今までありがとう、今後もがんばってください」みたいな、

そういうことを書こうと思っていたんです。

 

Kさんとのことは私の中で一応の決着がついたことだと思っていたし、

Kさんを見て当時の辛かった記憶が甦ることがあっても、

もうそこで遊ばないというか、

「彼に勝手に気持ちをかけて悩んでいた自分」をやめることを、

自分なりに決めて、その通りに行動をしてきたからです。

 

 

でも。

 

 

「今までありがとう」

「いろいろ迷惑かけてごめんなさい」

「これからも頑張って、応援している」

 

そういう、言葉を、メッセージとして書こうとして、

 

どうしても、

 

どうしても、

 

書けなかった。

 

 

 

なんで?一言書けばこれで終わりなんだからいいじゃない、と、

最後は綺麗に終わろうよ、もう会うこともないんだし、と、

 

頭が強く強く訴えてきても、

 

どうしても書けなくて。

 

 

 

 

そのタイミングで、

コミュニティに投稿していた記事に、真穂さんからコメントがあったのを見ました。

 

それを見て、感じたことが湧いてきました。

 

今回のことで私が選択しようとしていたことは、

 

Kさんへのメッセージなら、

「もう私はKさんとの過去を思い出してあれこれ思い悩む自分は捨てると決めた。

だから、彼が変わることを期待することもやめるが、

でも私は人と良い関係を築きたいと望んでいるし、事実Kさんから学んだことも多くあった。

ここで意地にならずに、本心からではなくても、一言ありがとうと伝えて終わろう。

それが私の決めたことに沿った行動だ。だからそうしよう。」

 

そういう気持ちでいました。

 

辛い、悲しい、という痛み。

それを十分に感じてきた。

その上で、

「それすら自分が引き起こしてきたこと」と責任を認め、

人のせいにして逃げることをやめ、

「もうそこで遊ばない」と決めた。

 

よって、その「決めた」に沿った行動を私はするのである。

 

というような、

すごく力の入った、硬い感じ。

 

真穂さんの言葉を借りるなら「男性性」。

 

頭。理性の声。思考。

 

もともと私は悲劇のヒロインになって酔うのが大好きな性質があり、

そういう自分を「本当にバカだった」と絶望したからこそ、

人一倍厳しく「遊ばない。酔わない。」を意識し、やってきた。

 

それは私をすごく助けてくれたし、

「こわくて進めない」とナヨナヨしていた自分に喝を入れ、

「こわくても何がどうなるかわからなくても踏み出す」を選び、

行動してこられたのは、ひとえにこの男性性のおかげです。

 

 

でも。。。

なんとなく、感じていました。

最近、すごく力が入っている感じがして。

うまくできなくて。

 

今まで通りやろうとしても、あれ???というような。

 

慣れなんだし、

コツコツ積み重ねなんだし、

今まで通りにまたコツコツとやればいいんじゃないのかな??

と思って、取り組んでも、何かが違う。

 

そこについて、丁寧に言われてハッとしたのですが、

 

「ただ悲しい」

 

を自分に許せていなかったこと。

 

許せてないっていうか、、

なんていうのかな。

 

辛い、悲しい、という痛み。

それを十分に感じてきた。

その上で、

「それすら自分が引き起こしてきたこと」と責任を認め、

人のせいにして逃げることをやめ、

「もうそこで遊ばない」と決めた。

 

この過程でもちろん「感じる」はやってきたのだけど、

それさえ

「頭で考えて」

「そうするのが必要なステップであるから」

やる、みたいな。

 

男性性にすごく支配された、型通りの、目標達成のためみたいな。

 

だって感じないと「決める」に進めないじゃん

 

みたいな。。

 

 

そういう、作業の一過程みたいな、

すごく人工的な不自然な力みみたいなのがあって。

そうなっていることに指摘されてハッと気づいたんですよね。

 

 

これを感じて、思い出したことがあって、

 

私は今の彼とお付き合いするまでに、何度か好きな人とうまくいかなかった経験があるのですが、

その過程を真穂さんがブログに取り上げてくれたとき、

ある一言に涙が止まらなくなったことがあって、

「(私が)傷ついているところを見てきた」という一言。

 

なぜかそれを見た瞬間に涙が止まらなくなって、

わーっと泣いたんですけど、

その時の感覚をすごく思い出したんです。

 

それはたぶん、

 

「自分の人生自分の責任」であって、人のせいにして逃げることはできないと自覚し、

その姿勢でコツコツ取り組んできて、結果的に、

生き辛さから少しずつ解放された「今」を受け取れて、

 

「がんばってきてよかった。」と思える今があったとしても、

そこで「よかったよかった」で綺麗に終わらせないで、

 

「ただ、辛かった」ということを誰かに認めて欲しかった私の心が、

 

そのとき、ここでは真穂さんだったけど、

ちゃんと認めてもらえたことに対する、

赦しというか愛というか、

そういうものを感じたことに対する深い安心感と悦びだったのではないかと。

 

もちろん本当は自分が自分に認めてあげなくちゃならないし、

それを自分で丁寧にもっとやっていかなくちゃならないのに、

 

最近のわたしは、「それ」を無視しがちだった気がします。

 

 

 

 

だから、それを思い出して、

「ただ、どう感じた?」と自分に問いかけて、

当時の悲しみや痛み、

ただ痛かったこと、今も痛いこと。

それを許したら、

 

「許せなくてもいい」

 

という言葉が出てきました。

 

これは私にとって、思ってもなかったことで、

 

すっきりとした解決を求めていないし、

辛いことはただ感じてもいいとは思っていたけど、

「許せなくていい」という言葉が、

なんというか私の辞書になかったんです。

 

でも事実、少なくとも今は

「私は許せない」し、

「許したくない」。

 

そこに「だってこんなに酷い目にあったのだから」とか

正当っぽい理由や根拠がないとしても、

大人気ないとか意地になってるとか恥ずかしい気持ちがあっても

やっぱり事実「許せない」んです。

 

ただ、許せない。

 

許せなくていい。

 

その言葉をかけたとき、当時の本当に辛かった自分とか、

誰かに助けて欲しかった気持ちとか、

ただただ耐えるしかなかったこととか、

ほんとうにいろんな痛みが甦ってきて、

 

でもそれらの痛みがちゃんと「在ったのだ」と

認めてもらえたような、

そんな感覚になったんです。

 

許せなくていいんだ。

 

許せない私は間違っているのかもしれないし、

それは何もわからなくて、

でも、ただの事実として、私は許したくないって感じている。

 

だから、許さないことにしました。

 

祖母に対しても、

母に「どうしても許せない。だから私は謝ることができない。ごめん。」と伝えました。

 

聞き分けの良い子だったのに。

いつもお母さんの味方でいてくれた子だったのに。

そんな声に絡め取られるようだったけど

(↑母に言われたわけじゃなくて私の心の声)

やっぱり今は、私はそうなんだって思ったから、そうしました。

 

今はきっと何かにぶつかっている時なんだと思うし、

それが何かもわからずただもがくことしかできないのですが、

 

「ただ痛みを感じる」

「その痛みをなかったことにせず、認める」

 

その上で、弱く在ることしかできない自分を、出していく。

 

同じことをやっているように見えて、

ひとつ上に昇っているというか、そういうステージなのかなと。

 

そんな気がします。

 

 

また、何かあったら記しますが、今日はここまで。