始末に困る人

仕切り直してみました(2回目)

自分と向き合う、ということでさえ、 人に助けられて出来ることなんだな。

先週とても感動的な体験をしたのですが

 

gungungunmachan.hatenablog.com

 

 

gungungunmachan.hatenablog.com

 

 

そこから一気に突き落とされたみたいに、

この週末はとてもショッキングな経験をし、ずぅーーーーん・・・・となってます。

 

すごく嫌な気持ちにもなったし、

ショックも受けたし、傷ついたし、

たくさんたくさん泣きました。泣きすぎて目が痛い。。

 

ノートに書き出したり向き合うのも辛くて、

ただそのまま、泣いたりイラついたりしていたけど、

 

ふと冷静になり、

「これはわたし一人で抱えきれない。誰かに聞いてほしい。」と考え、

 

最も信頼できる友人の一人に電話しました。

 

「慰めたりアドバイスをしてほしいわけじゃないけど、ただ聞いてほしい」と伝え、

 

ただ、話を聞いてもらって。

 

かなりプライベートなことなので言える人が限定されるんですけど、

友人も何も言わずにただ聞いてくれて、

ただ付き合ってくれて。

 

ありがたいなと思いました。

 

スッキリはしないし、

べつに何も解決したとか、動いてないけれど、

 

ありがたいなーって。

 

こんな友人がいるなら私は大丈夫だなあって、根拠なく思えたりして。

 

それだけでなく、

思いがけず家族からのサポートももらえたり。

 

なんだろう、

起こった出来事とか、

それについて私が嫌だとか腹立つとか、

なんで!って責めたくなる気持ちとか、

どうしてこんなことになるの!?って自暴自棄になりそうな苦しい気持ち、

 

強い感情がたくさんたくさん出てきて、

事実苦しいのだけど、

その渦中の中にいてさえ、

ふと冷静に「でも大丈夫だ」って思えていることに気がつきました。

 

それはやっぱり、そういう感情の中にいても、

これまでの積み重ねのおかげで

 

「自分の気持ちと正面から向き合う」

「人のせいにして逃げない」

 

って、痛くても苦しくても

そこに踏み出せる感覚を掴めたからだと思います。

 

まだ今回のことは、心が痛すぎてノートに書き出せていないのですが。。

 

やっぱり、まだ昔のクセ?みたいなものが残ってて、

そうでなくとも私はけっこう短気なので、

すぐキレたくなったり相手を頭ごなしに否定したくなったり、

私が正しい!って主張したくなったり、

あるんですよね。

 

こんなに何度もノートに書いたり失敗したりしてきたのに。笑

「頭」で正論をふりかざす、という行為。

 

それを、またやってしまった・・・・という意味でも、

ずぅーーーん、、、と落ち込んでいたのですが。。

 

なんか、その時は余裕がなかったなと。

 

で、なんで余裕がなかったの?と考えたら、

それも全部私の妄想で、「こうなったら困る」っていうマボロシを採用してて。

 

 

それに気づくには、どこかで冷静に

「それ妄想だし、逃げるなよ」って突っ込める余裕が必要で。

余裕のほかに、覚悟も必要かなあと思うけど、

覚悟決めることすら、やっぱりキツキツの状態ではできないと思うのです。

 

 

「自分の気持ちと正面から向き合う」

「人のせいにして逃げない」。

 

やっぱりこれが、いつもスタートだなあと思うんですけど、

 

ここに至るのすら辛い、という状態ならば、

ただ感じるままにしておくとか、まず体を休めるとか、

そういうところからだと思うんですね。

 

まず余裕を、自分が自分に、作ってあげる。

 

さっき私が友人に電話したのも、それにあたるのかなと。

 

でもそれって、やっぱり人に頼らないとできないと思うんです。

私は友人に直接助けて!ってヘルプ出したけど、

ちょっと休みたいとか、

何もしたくないとか、

その間はどうしたって人に頼らざるを得ないし、

 

「気持ちの余裕をつくる」としても、

やはり誰かに聞いてもらうとかそばにいてもらうとか、

「人」の存在が大きいなって。

 

自分と向き合う、ということでさえ、

人に助けられて出来ることなんだな。

 

と思いました。

 

私はこれまでずっと、

「自分を生きる」をやってきて、

 

「私が」私のために自分と向きあう、

「私が」私のためにノートに書く、

「私が」私のために気持ちを感じる、

「私が」私のために覚悟を決める、

 

それはもちろん「私のため」であって、

私自身が「私という人間をただそのまま生きたい」と思ってやっていることで、

 

でも、そんな「私が」というハコに閉じこもって、

「私のために」と思ってやってきたことでさえ、

 

こんなにも人に助けられていたし、

そもそも人の助けがあってこそ、できていたんじゃないか。

 

なんか、そういう視点がこれまではなかったなあと思います。

 

言葉にすると今更?ってことに見えるけど、

今回のことですごくそれを感じました。

 

なんというか、こんな最悪な状況なのに、

反比例するように助けてくれる人や優しさがすっごく濃くて。

いちいち感動してたんですよね。

 

感動したし、こんなに助けられて応援されていて、

こんなに素敵な人たちが私にはいてくれて、

それだけですごいことだって思ったんです。

 

私はずっと自分のためと思ってやってきたし、

もちろん軸は自分ということで揺るぎないけど、

でもそれだけじゃないんだなあと思っています。

 

そんなことを今、すごく感じています。