始末に困る人

仕切り直してみました(2回目)

私の望みが「大切な人たちにとっての幸せ」「全体の繁栄」にもつながることなら、自然と流れていくようになっているのではないだろうか。

先日書いたことについて追記です。

 

gungungunmachan.hatenablog.com

 

 

先週の土日に、とても不思議な経験をしました。

 

3/10 東京大空襲

3/11 東日本大震災

 

このように、奇しくも日本にとって大きな意味を持つ日でしたが、

 

この日だからということではないけど、

私の中ではすごく感情も揺れたし、信じられないようなことも続いて、

 

だから今後思い返した時、

忘れられない節目のような日に、もしかしたらなるのかなって気がしています。

 

それでですね。

 

諦めたことが叶った

 

と書いたんですけど。

 

叶ったというか、

気づいたら大丈夫で問題ない状況になっていたというか。

 

なんでかな???と思ったんですが、

それは何故そういうことが起こったか?という仕組みは

私には全然わからないんですけど、

 

一つ感じたのは、

 

その「望み」が、全体の繁栄につながることだったからかな?ということ。

 

それはもちろん私の個人的な望みに過ぎないことで、

全体の繁栄のために、それを望んでいたわけではないんですが。

 

でももし、見えない存在によって後押しをいただいていたのだとすれば、

 

私のその望みが、

それに沿って私が生きていくことが、

 

私や大切な人たちにとって、

もっとも自然に調和できたり、その先の発展につながったり、

 

そういう「全体の繁栄」につながることだったからこそ、

 

結果的に諦めなくてよい状況に転がっていったのかなあと。

 

「転がっていった」としかいえない流れだったので。笑

 

私は本当に一度諦めたので、何も頑張ってないんですよね。

ただ周りが勝手に動いていって、

「お?」と思って。

 

もしかしたら?と思って。

 

やっぱり諦めたくない、と素直に認めて、

もうどんな惨めな姿晒して

かっこ悪くてもなんでもいいから、

もしまだ可能性があるなら・・・!って、

 

それをそのまま、周囲に伝えてみたら、

 

思いもよらぬ展開になって、気がついたら何も問題なくなっていて。

 

 

なんというか、

「ただ私だけが気分良く在れればいい」みたいな、

そういう気持ちからの望みだったら、

たぶん違っていたんじゃないかと思うんです。

 

それはもちろん私の望みだから、そういう気持ちだってありましたけど、

 

それにを叶えていくことによって、

私だけじゃない、

大切な人たちにも、

しあわせになってほしい、喜んでほしい。

 

そういう気持ちもすごくあったんです。

 

だから結果的に応援される流れを与えてもらえたんじゃないかなと。

 

振り返ってみて、そう思います。

 

これが、逆に

 

「叶えたいから、結果的に全体の繁栄につながりそうなことを望もう」

 

みたいな考えだと、たぶんトンチンカンなことになると思いますが。。

以前私はけっこう無意識にこういうことをやってた・・・

 

なんだろう、「どうすれば?」っていう方法論的なことは、

よくわかりませんけど、

気がついたらそうだった、ということです。

 

まだ書きたいこともあるけど、出かける時間なので今日はここまで。。