始末に困る人

仕切り直してみました(2回目)

「私を生かしてくれている存在」を感じた日のこと。

この土日に、とても心動かされる出来事があり、

 

整理して記せる自信がないけど、

感じたことをとにかく書いてみたいと思って向かっています。

 

うーん、何から書けばいいのか。。

 

とにかく今感じるのは、

 

神様って本当にいるんだ、

 

と思ったんです。

 

私も確かに守られている、ということ。

 

 

これまでだって私は、

そういう見えない存在もきっといるだろうこと、

 

神様や宇宙の流れとか、自分という存在の源、

自分という命を生み出してくれたご先祖様や、

それらの命の続きを託されて、

生かされているということ、

自分一人ではない大きな存在に守られていること、

 

そういうものだと思っていましたし、

 

そういう世界観に馴染んでいました。

 

でも、これまでのそれは、どこかで、

「なんとなく」というか、

 

信頼できる人がそう言うから、きっとそうなんだろう

というような、

 

なんともあやふやなもので、

 

そこに「私自身の体験」というか

「私がそれを実際に感じる」という経験が乏しかったから、

あるいはそう見る視点がまだ私に備わっていなかったから、

確信を持つまでには至りませんでした。

 

でも、今回私が経験したことは、

 

見ようによっては偶然の重なりとか、

たまたま幸運だったとか、それで説明されてしまうことかもしれないけど、

 

でも私は、私自身は、

そこにすごく、「自分以外の何かの意思」を感じたんです。

 

私の命を授けてくれた何か。

私を生かしてくれる何か。

 

そういう存在が、守ってくれているのでなかったら、

 

私一人の力、関わった人達の力、あるいは偶然の重なり、

ただ単に「それらのおかげで」とするには、

とても説明がつかないことだったからです。

 

具体的に書かないと何のことだかわからないかもしれないけど。。

 

私が「もうダメだ」と諦めかけたことを、

もう八方塞がりで、

諦めるしかない、仕方ない。と腹を括ったことについて、

 

「諦めるにはまだ早い」

 

と言われるかのように、

 

その直後から偶然が重なり、

チャンスに恵まれ、人に助けられ、

 

私がおそるおそるそれを受け取って、

 

やっぱり諦めたくないと

惨めな姿をぐちゃぐちゃに晒しながらも踏み込んだら、

 

「もうダメだ」と一度諦めたことが、叶ったんです。

 

それも、ただ叶っただけじゃない、

 

私が独りよがりで「こうなりたい」と思い描いていた姿などよりもはるかに、

 

私にも、関わった人にも、とてもよい形で。

誰一人、嫌な思いをさせたり、迷惑をかけることなく。

 

振り返ってみて、

私にとって最も強く刻まれたことは、

 

感謝の心。

 

ただただ、

ありがたい、とひれ伏すしかないような、

 

畏敬の念、というようなものでした。

 

この私で生まれてきたこと、

この人と出会わせてくれたこと、

あの時こういうチャンスをもらえたこと、

 

全部全部、応援されていた、守られていた。

愛でしかなかった。

 

大丈夫にしかならないと。

 

私がただ、

 

「これまでの常識」みたいなちっぽけな枠組みに縛られることなく、

「私がなんとかしなければ」と傲慢な考えを持つことなく、

 

ただの私の思いに素直に、

弱い姿惨めな姿すらそのまま晒していいから、

一歩踏み出しさえすれば。

 

大丈夫にしかならないんだと。

 

今回のそれは、確信がありました。

 

私はもう大丈夫なんだと思います。

 

自分が自分を生きてさえいれば、

最初から何も問題なんかなかったことに気づきました。

 

 

 

いずれここにもっと詳細に書ける日がきたら、書こうと思いますが、

今日はとりあえずここまで。

 

お読みいただきありがとうございました。