始末に困る人

仕切り直してみました(2回目)

ただの自分のまま、生きていくことを自分に許す覚悟を持つ=自分が自分を否定しないでいられる喜び。

お陰様でここのところ、ほぼストレスのない日々を過ごしており、

自分の中身が すっかすか になっていることを実感しています。

 

思ったのは、すかすかになっても私は私なんだなあ、ということ。

 

なんていうのかな、

 

「皆に必要とされてきちんと仕事をこなす」私

「皆に愛想よく振舞っていい人と評価される」私

「一生懸命頑張ることで家族や友人にそれをアピールできる」私

 

こういうのが消えて

 

 

になったというか。

  

ただの私、

 

ただの〇〇〇子

 

として、生きている、ここにいる、という感じがしています。

 

少し昔を思い出すと、

こういうことに取り組み始めたときは、

「頑張っている私」を一つ一つ、

取り除いていく作業をしていました。

 

暗黙の了解で皆が出る勉強会に勇気を持って出ないとか。

ポストが空いたらお願いしますって先生たちに伺いにいくのをやめるとか。

 

でも私、当時は本質をよくわかっていなかったと思います。

 

目先のメリットを得たいから、

だからそういうことをしていたところがありました。

 

メリットというのは、

何も変えなくてもするっとうまくいく、とかそういう類のやつ。

そして「うまくいく」というのはつまり、

「私が望む現実的ないいことを、どれだけ得られるか」ということで。

 

当時を思い出して「バカだったな〜^^;」って感傷に浸りたいのではなく、

たぶん今も、簡単にそういう罠にハマってしまうだろうから書いています。

 

最近そういう慢心のようなものが、自分に見え隠れする気がしたからです。

 

いくら毎日ノートにコツコツ書いていようが、

自分を見つめる姿勢をいくら意識していようが、

自分をとことん疑っていこうが、

 

この罠にハマるときはハマるんだと思う。

 

だってやっぱり「こうなってほしいな」って望みは消せないですから。

 

だから、メリットを得ようと望むことを、

そのために何か行動することを、

そういう自分を私は否定しないことにしました。

 

私が、今、思うのは、

一番大事な根幹のことというのはやはり

 

どんな自分も許す

 

ということだと思うからです。

ただし許すといっても、

 

「そんな私でも完璧だからいいんだもーん」

 

って開き直ることじゃないです。←やってました。。

 

完璧であってほしいわたし、

理想像の、聖母マリアみたいな女性を目指す私がいて;

 

「そうなれたら素敵だなあ」という望みは持ちつつ、

それに沿った行動も時には起こしてみたりして、

 

それでも

 

そうなれない自分

現実の醜い自分

欲まみれプライドまみれのきったない自分

 

が、今ここに 在る ことから目を逸らさない。

 

そして、

 

恥ずかしい気持ちや、

打ちのめされるような絶望感、

現実逃避して誰かのせいにして逃げたくなる気持ち、

 

そういったものも伴って生じてくるけれども、

そこで逃げないということです。

特に3つめ!笑

 

それで、

感覚なのでうまくいえないんですけど、

こういうものもちゃんと受け止める覚悟があると、

「どーせプライド高いんだし仕方ないじゃない!」みたいに

開き直る感覚とは確実に違ったものが出てくるんです。

 

それが、冒頭に書いたような

 

どんな自分も許す

 

という本当のところではないかなと、今は思っています。

 

「どんな自分も許しましょう」という言葉にはすごく甘い響きがあって、

私もそれに委ねて「ああこんな私でもいいんだ〜」って浸ってた時もありました。

 

でもそれをいくら続けても、

本当の意味での安心感とか、深い喜びというか、

「本当に、自分はこれでいいんだ」と

ドシンと腹に据える感覚は得られなくて。

 

それはやっぱり、

「こんな私でもいいんだ〜」っていう言葉の裏で、どこかで、

「でも本来であればこういう弱いところは克服すべきものである」という、

かすかな否定を、自分が自分に対して持っていたんだと思うんですね。

 

その「弱いところを持つ自分」を、

克服すべきものだと、どこかでそう思っていて、

だからその「弱いところを持つ自分」を

消して無いことにしたかった。

 

で、なぜそれを抜けられなかったかというと、

やっぱり「弱い自分はどうやっても変えられないのだ」という、

(正確には「変えよう」という努力を私はもうしたくないという)

 

その厳然たる事実を、

自分が自分に突きつける覚悟がなかったんだと思う。

 

だって辛いですから。

弱い自分のままで生きていくなんて、許せない!と怒る自分と、

正面から戦う覚悟がなかったのですね。

 

どんな自分も許す、ということはつまり

 

この私は ただの〇〇〇子 です

 

と全面的に自分が受け止めている状態です。

 

逃げ隠れできないキツさはありますが、

やはりそのぶん、本当の意味での安心できるのはこっちだし、

私はやっぱりこっちの方がいいなあと思います。

 

そしてここまで書いてみて、

昨日の記事も読み返してみた時に、感じたことが同じなんですよね。

 

 

gungungunmachan.hatenablog.com

 

 

この記事も、

 

言いたいことを言うか言わないか!?

 

みたいな、表面的なことではなくて、

 

大事なのは、自分が自分を否定しないでいられることなんだと思うんです。

 

私は記事で書いた通り性根が熱血なので、

時に暑苦しい意見も持つし、

心の中ではけっこう過激なことを考えていたりするわけです。

 

それを表に出す出さないは別として

自分がそういう自分を否定しちゃうと、やっぱり苦しいんです。

 

だから、私は「できるだけ言うと決める」という

なんとも曖昧な決めをしましたけど、

それはつまり相手に言おうとする時に

言い訳をくっつけないということでもあります。

 

自分で自分の考えを「いや、そうは言っても・・・」と否定していると、

人に言う時にもれなく言い訳が入るからです。

罪悪感がありますからね。

私はこう思っているけど、でもこういう意見があるのもわかってますから!

みたいに。

 

なので、

あくまでも結果として言った言わないというのは、

別にそこで測る必要はないのですね。

「できるだけ言う」というのは、

これまであまりにも私が嫌われるのを恐れて言わなかったから、というだけで。

 

 

 

それで、

さっそく実践の場を与えてもらったのかわかりませんが、

昨日彼と電話していて珍しく喧嘩になったんです。

(本当はこれを書こうと思ってたのに前置きが長すぎる)

 

私があるものにお金を払ったという話なんですが、

彼が

「その内容でその値段かー・・・ふーん。。。」

「それだけの価値があるか疑問だな」というようなことを言ったため、

 

私がキレて、

「私はこれがいいと思ったからお金を出したのに、その言い方は何!」と

これまでにないくらい怒ったのですけど、

 

話し合いの末

 

・彼にはバカにする意図はなく、素朴に「その値段??」と思ったから口にしただけ

・言い方が悪かったなら謝る

 

ということと、

 

・私も勝手にバカにされているように感じて怒ったのは悪かった

・勝手に怒る前にどういう意図なのか聞くように努力する

・ただしそういう言い方は実際傷つくから嫌だ

・(私が買ったそれについて)アナタがなんて言おうが私は好きだから。

 

というようなことを確認?しまして。

 

当たり前だけど「聞かなきゃわかんないんだな」ということと。

 

あと実際にプリプリ怒ってみて、色々言いましたけど

「自分が感じることを否定していないことは、言い訳せずに言える」

ドキドキはするけど。

 

ということを学べた気がします。

 

たとえば彼の言い回しがこれで改善するとは思ってないけど、

 

「そのことに傷ついてしまう自分」を否定せず受け入れたので

「それ嫌だ」と淡々と伝えることができました。

 

それに聞くことで

「もともと彼はそういう言い方をしてしまう人であって、

人をバカにしたり否定する意図はない」

ということを知れましたし。

 

このことも、別個に記事書きたいくらい大きな気づきだった。

今更だけど「この人違う人間なんだわ・・・!」っていう。

 

で、そうすると、

別にこれで彼が改善してくれるかどうかとか、

そういうことはあまり気にならなくなりましたし、

逆にプンプン怒る私にも付き合ってくれて

あれこれ意見を述べてくれる彼にも感謝の気持ちが湧くんです。

不思議ですね。

 

やはりここ、

 

理想になれない自分

現実の醜い自分

欲まみれプライドまみれのきったない自分

 

が、今ここに 在る ことから目を逸らさない。

 

ここが、大きいのかなーと、思います。

ここを自分が受け入れているかどうかが分岐点な気がする。

 

言葉にすると

「ただの自分を受け入れる」という

この道では基本のき!みたいなことなんですけど、

 

やっぱり日々の中での出来事と照らし合わせて、

感じたこと、こうなのか、って思いながら落としていくこと、

実践によって身になっていくんだなあと思います。

 

他にも書きたいことが色々あるんですけど、

先週久しぶりに政治家の勉強会に行きましてね。

そこで「政治」と「ただのオンナ道」に通ずるものを見つけた気がして、

ちょっと興奮したので次回にまとめて書きたいです。