始末に困る人

仕切り直してみました(2回目)

人から受け取れるもの

もう夜中ですが、お風呂に入ってぼーっとしながら考えたこと。

 

人から受け取れるもの。

 

 

わたし、人に相談することがなくなったなあと思ったんです。

以前は何かというとすぐ人に話を聞きに行っていて。

 

何か、迷ったりわからなくなると、じゃああの人に相談してみよう!って。

当たり前に思ってやってたんですよね。

 

それで、相談しに行って、言われたことをすごく大事にしてた気がする。

 

大事にするというと聞こえがいいけど、要はすごく振り回されていたっていうことで、

言葉の一つ一つを吟味したり様々に解釈して自分に当てはめようとしてみたり。

 

 

何がいいたいかというと、すごく表面的なものしか受け取れてなかったんじゃないかなと思ったんです。

 

どんな言葉をかけてもらえたか?

どんなアドバイスをしてもらえたか?

 

それによって私がどんな恩恵を受けられたか?

 

そういうことにすごく集中していて。

 

そこから一つでも学びを得ようと一生懸命だったけど、

そういう姿勢でいたから、ほんの一部しか見れていなかったように思う。

 

そういう表面的なものだってもちろん大事なんだけれど、

それだけじゃなくて、そこにあるけれど「目に見えないもの」。

 

「気持ち」ですよね。

 

それは、たとえば私のために時間を取ってくれたとか、そういうことだけじゃなくて。

 

もしかしたらその人だって、私以上に何かを抱えていたかもしれないし、

それに集中して気持ちを出来るだけそこに使いたいって思っていたかもしれなくて、

 

でもそこに、

ほんの隙間だけでも、「わたし」を入れてくれたってことじゃないですか。

 

ほんのわずかでも、〇〇さん(わたし)が困っているのなら何かしてあげたいとか、

大丈夫かなって心配してくれたりとか、

一瞬でもそういうものがあったわけじゃないですか。

 

だから、たとえそれが「でもやっぱり今は忙しいから無理かな」って、

特別何か動くとか、そういうことにならなくたっていいんですよ。

 

実際に時間を取ってくれたとか、何かやってくれたとか、

そういう「こういうことを与えてくれた」っていう、「目に見える何か」が、

 

私にもたらされるかどうか、という、

 

そこだけに注目しすぎると、

それ以上にある大事なものが見えなくなるんじゃないかと思う。

 

 

最近は周りにすごく助けられながらやってるので余計に思うのかもしれません。

 

やっぱり気持ちが嬉しいなって。

 

それで思うんだけど、

言ってしまえばそこに「実際に気持ちがあるかどうか」でさえどっちでもいいのかもしれない。

 

というか、そんなことわからないよなあと思って。

私が勝手に受け取ってるだけで。

でも受け取っているということは、相手の気持ちを信頼しているってことなんですよね。

 

なんの、根拠もないけど。

私が勝手に、気持ちをかけてくれているものとして、受け取っているだけで、

 

でもやっぱり私は、人とそういう関係性を持てることがすごく嬉しいと思うし、

 

目に見えないものをもっと気づいて受け取りたいなって思った。

 

そう考えると、

人と自分とを見る目線がまた変わってくるような気がするのです。

 

やっぱりさ、損得勘定だけじゃ寂しいもん。

気持ちがあってこその人間だと思うんですね。

 

そんなことをふと思いました!

 

眠いので今日はこれで。。