始末に困る人

仕切り直してみました(2回目)

優しい世界

私は今年で大学院を卒業する予定なんですが、

実はここへきてちょっと困ったことになりまして、

 

論文を完成させないと卒業できないのですが、

卒業できないというか、審査が通らない可能性が出てきてしまってとにかく困るんです。

しかも締め切りがけっこう間近で。

 

ギリギリいけるかな???と思って、ちんたらやってた私の責任なんですが。。

 

改めて、残りの仕事量を見つめてみる。

 

・・・

これは、どう頑張っても私一人の力ではできない。

 

困った。

 

困りました。

 

やばいーやばいーとドキドキしながら昨日、残りのTO DOリストをまとめ、今日先生に相談したんです。

 

 

・・・二人で、やばいな。と青ざめていたところ、

しかし先生は私を責めたり怒ったりしないんですよね。。ほんと仏様かと思う。

 

先生が一言「みんなの手を借りよう」と。

 

 

うちの研究室はビッグラボじゃないので人員がそもそも少なく、

一人一人のスタッフがやばいくらいの仕事量をこなし、

数や量にものを言わせることはできなくとも、質の高い仕事で勝負しているラボなんですよね(と、私は思っている)。

 

えーと、つまりみんなそんな余裕あるわけないよね?っていう状態。

 

私から見ても、先生もう休んでください!って思うくらいみんな働いてるんだもん。。

 

だから私、人の手を借りるなんて考えてもいませんでした。

 

正確に言うと、教授は私の指導責任があるから頼る権利?はあるかもしれないけど、

他のスタッフにそんな義務あるわけじゃないし。

 

研究者って、基本的にスタンドプレーですし、

自分の業績にならないことを手伝っても「なんのメリットもない」んです。

共著者に名前が入るくらいですかね

 

本当に「何の得もない」んです。

 

と、私は思っていたから、

 

私がそういう目線で世界を見ていたから、

 

「たとえ目に見える得がなかったとしてもお互い様で助け合いましょうよ」っていう世界を、

 

見出すことができなかったんだと思う。

 

なんでかな、友達付き合いとかなら「お互い様」ってわかるんですが、

こと研究(仕事)において、私はそういう目線がすっぽり抜けていたんです。

抜けていたというか、横目に見てはいたけどそこに私はいなかったというか。。

 

なんというかですね、うまくいえないんだけど、今日私はこれが地味に衝撃だったんですよね。

 

世界が違うっていうのは、こういうことなんだって。

同じ場にいるのに、

違う世界が、あるんですよね。

 

優しい世界だってあったということ。

私が、それを選ばないから、そこに行けなかっただけで。

 

 

結局、私のためにスタッフさんが快く補助を引き受けてくださることになり、

 

締め切りに間に合うかは、やってみないとなんとも言えないのだけど、

 

何でも言って!手伝うから^^って、すごーーーく快く引き受けてくれて。

 

私、また地味に衝撃で。

そんなメリットも得もないようなことを、

打算ではなく本当に「気持ち」で受けてくれているってこと。

 

そこに、

私だって今こんなに大変で!とか、

それなら代わりにこれだけのものをくれるんでしょうね!?とか、

 

いやそんなあからさまに言う人はいないと思うけれど、

どうしたって「そういう気持ち」って滲み出るじゃないですか。

 

それがない。

ほんとーーーーーーーに、ない。

 

私自身もかつてはそれをやってたから、^^;

人から滲み出る「それ」もわかるんです。

その、損得勘定で、得のあるほうを嗅ぎつけて寄っていく、みたいなこと。

もちろん無償の気持ちだってゼロではないけれど、

やっぱり「これだけの得があるからやる」みたいな、無意識の前提が働いていたと思う。

 

でも、今日の話し合いでは、ほんとうに「それ」がなかった。

 

そのことが、すごく地味に衝撃で。わたしは。

 

 

そしてここまで書いていたら先生が私を気遣いに来てくれました。。。

無理しないでねって。

 

 

なんで皆そんなに優しいのだろう。

泣きそうになってしまった。

 

 

それでね。

 

ここが一番大事なことだと感じたんですけど、

 

この優しさ、、

 

受け取るの、ちょー怖い。

 

怖いです。。

怖いと言うか、すんごい、いたたまれない。

本当に顔が上げられなかった、私。今日は。

 

だって、私が全部一人でがんばる方が本当はラクなんですよ。

 

私の手柄!(ドヤ!)ってできるし、

人に頭を下げること、無条件で感謝を向けることもすっとばして行けるから。

 

本当はできないくせに偉そうに強がる自分を、見なくて済むから。

 

「私の力で」できた、って酔いしれていられるから。

 

それは、物理的には一人でやるほうがずっとずっと大変なんだけれど。

こういう「ラクさ」が、そこにあるんですよね。

 

それを改めて今日知った。

というか、思い知らされた。

 

そして私がいかにそこにどっぷり浸かって来たのかってことも。

 

まだ、こびりついてるんだなあと思って。

そういうのが。

「私だってやればできる」みたいなの。

 

一人で生きているのではない、ってこと、

私なんか大したことない、ってこと、

 

何度もなんども私は感じて来たはずだけれど、

それをこうして、日常の中で自然に経験させられたことってなかったように思う。

 

今までのそれらが、頭での、思考での、理性での「知っている」だとすると、

心と体での、感覚での、気持ちでの「腑に落ちる」って、こういうこと。

 

そんな感覚がしています。

 

それでね、委ねてみたら、なんだか安心したんです。

いたたまれないけど、

ありがとうございますって素直に頭を垂れて受け取らせていただくの。

余計なこと考えないで、手を出すの。

ありがとうございますって、言葉ではそれしか言えないけれど。

 

そしたら、むずむずするけど、なんだか涙が出るくらい安心しました。

ああこれでいいんだなあって、

私は、こうして助けられてもいいんだなあって、

優しさを受け取れるって嬉しいなあって。

 

強がってドヤ顔してた頃に得ていたはずの快感とは比べ物にならないくらい。

違う世界に来たみたいだった。

 

 

私ですね、やっぱりここまできたらちゃんと卒業したいと思いました。

もうどうでもいいやって気持ちもあるんだけど、

やっぱり最後までちゃんとやりたいなあって気持ちもあったみたい。

 

やるならやる、諦めるなら諦めるで白黒はっきりさせろ!って、私は思っていたんだけど。

そうでもないというか、どっちでもいいかなあと思っていて、

 

ただ、こういう気持ちを、

これからちょっとラストスパートでしんどくなると思うけれど、

この気持ちをいつも見据えていたいと思ったんです。

 

結果をばっちり見据えて「卒業」というゴールに向かって突っ走るのとは違くて、

その経験の中で、辛くて大変かもしれない時間の中にも、

きっと見いだせるであろう「優しい世界」を、見つけられるように。

私はそっちの方が、大事にしたいことだなあと思う。

 

できた、できなかった、という結果よりも、そっちが。

 

それをきっと

「毎日を丁寧に生きる」

「今を生きる」

「今ここを感じる」

というのではないだろうか。

 

そして、一番大事なこと。

 

「一人でできないんだから、人を頼ることを覚えなさい」って。

与えてもらった機会だったような気がします。

頭じゃなくて、体験としてね。

 

今日はそんなことを思いました。