始末に困る人

仕切り直してみました(2回目)

「気持ちを受け取る」ということの大切さ

なんだかここのところ自分の中で「決める」ことにシフトしてきているせいか、

現実が同調して動いてきているような、

向こうからやってくるきっかけや出来事が本当に来るんだなあ〜って思っています。

 

それは、いいことばかりではないんですけど。

直視しないといけない痛いところとか。

私を不快にさせることとか。

ありますよそれは。

でもなんか、そういうこととは別なんだなあと思って。

 

例えば今日は改めて自分の無能さが浮き彫りになることがあって、

ふてくされてもういいやとか、どうにでもなれとか、イライラモヤモヤしていて、

でもそういう感情の吹き荒れるのとは別に、

ちゃんと私は私として、与えられるありがたさとか幸せを受け取れるんだなあと思って。

 

私、こんな自分のままで生きていきたいって強烈に思っているくせに

人にも嫌われたくないんですよね。

その、身近な人たちと。

こういうパソコンを開かないと繋がれないちょっと遠い人たちではなくって、

今、目の前に三次元的にいる人たちと。

交流を、ちゃんとしたいと思っているのですよ。

落ちこぼれでどうしようもない自分のままで、関係していきたいって私は思っている。

 

今日は色々あって、

でも大学の人が私のためにわざわざ集まってくれて、

話を聞いてくれたり励ましてくれたり、

 

なんだろう、私はそれらを「うざい」って思ってたんですよ、

大馬鹿やろうですけれど、

私の生き方はこうなんだから横から色々言われても困るって。

それは、そこが合わない人たちに私が無理に気を遣って合わせるということではなくって、

 

でも今日集まってくれた人たちは本当に私のことを、

ただ少しでも元気になってほしいとか、

励ましてあげたいとか、

前向きに幸せに生きられるようにとか、

そういう「気持ち」があるんですよね。

 

私に対してそういう気持ちを、向けてくれているんですよね。

社交辞令とかじゃなくてさ、

それくらいは私だってわかるから。

だから貴重な時間とエネルギーを割いて私に付き合ってくれているんだし。

 

その、そういう気持ちを、

そういう気持ちくらいは素直に受け取らなければいけないんだなって思った。

「〜ねばならない」を本当に使いたくなくなってきている私ですがあえて「受け取るべき」って考えた。

 

そういう、身近な人たち、

パソコン閉じれば関係が切れるような遠い人じゃなくてさ、

私と実際に縁してくれている人たちね。

その人たちこそ本当に大事なんですよね。

そこに乗せてくれている気持ちをこそ、私は受け取らなきゃいけないんですよね。

 

どんなことからだって学びも糧も受け取れると私は思っているけれど、

一番はそこなんだなあって。

ブログとか本とかセミナーとか、私がシャッター閉めれば簡単に切れるような存在じゃなくて。

 

ただ今日はそういう目の前のよろこびを、

関係のある人たちが私に向けてくれている優しさとか気持ち、

それを本当に感じた日でした。

素直に、嬉しかった。

私はこういうところで悦びを感じたいのだった。

 

もう自分の中にごまかしがきかなくなっている気がします。

だからこそこういう一見なんでもないようなことがとても色濃く見える。

そんな感じ。

 

思いつくままですが地味に感動したので、

今日の気持ちはこんなところで。