始末に困る人

仕切り直してみました(2回目)

「自分を大切に生きれていたらOK」ゲームから降りて、そこはツールとして活用する。【私の望みは「今を安心して楽しみたい」、そして「女性として、好きな人と一緒に生きていきたい」】

感情の揺り戻し、

 

振り回されないと決めたといっても、

顔を合わせると急にぶわっと負の感情が湧き出ることがあります。

 

ノートに書いても書いても、なくならないしどうにもならないし、

 

やっぱり辛いなあ。

何やってんだ私、って思います。

 

毎日会うからその度にモヤーッとしてしまうことが多くて、

でもそれだって、私が卒業まではここにい続けると決めたから、それも引き受けなくちゃいけないのだけど、

 

ああやっぱり辛いなあ!

悲しいーーーー!辛いよーーー!ってなります。。

トホホって感じ。

 

そんなに嫌なら今すぐ辞めようか?って思いも湧いてきて、

でもそれはNO!なんですね。

その人のせいでやめるなんて馬鹿らしいって気持ちもあるけど、ここは最後までやりたいんです。

 

義務感や、こんなにお世話になったんだからとか周りを気にする気持ちもあって、

白い目で見られたくないとか逃げたと思われたくないとか、

そういうのも全部あるしなくならないし、でも私は最後までやりたいし、やるって決めたから、

 

だからあともうちょっとがんばって、研究生活にけじめをつけて終わらせたいと思ってる。

 

 

ーーーーー

 

実は今日の記事は何度も書き直していて、

最初は相手に対するただの愚痴になっていて、しかもそれに言い訳がいっぱいくっついていました。

(例:毎日会うから、かなり酷い衝突があったから、相手がこういう態度だから・・・etc) 

 

それで、

いつもはそういうのはノートに書いて、いったん心を落ち着けるとだんだん戻れていくのですが、

 

今日ブログにわざわざ書きたくなったのはなぜなんだろうと考えて。

 

そしたら、

「私はこんなに傷ついているって誰かに聞いて欲しいから」

と出てきました。

 

それくらい辛さがMAXだったということ、

私は誰かに助けて欲しいって泣きつかずにはいられないほど辛いんだということ。

 

そしてそれを何度も消したのは、

「ブログにそんな愚痴を吐き出すのはいけない」って自分に言い聞かせていて、

 

だって私は自分を大切に生きると決めて、

自分の感情は自分がちゃんと引き受けると決めて、

「誰かに慰めてもらおう、あなたは悪くないよっていってもらおう」なんてのは

卑しい行為なのだからと、

 

とにかく自分がそう感じていて、制限をかけているんだなあということを知りました。

 

今もこれ書いていて、いいんだろうか。。ってビクビクしてる自分がいます。

 

こんなただの自己満のブログ記事でさえ「これはOK」とか「この内容はだめ」とか、

こんなこと書いたらまた「人にもらおうとする私」になっちゃうからよくない!とか、

 

ああー、これはあれかなあ。

「自分に集中できている私でなくちゃだめ」を楽しむゲームをしてるのかもしれません。

 

自分で自分の感情を引き受けて上手に消化できたらOKで、

人に話したりブログに放って、助けをもらおうとするのはNGという。

 

そんな、常に誰かの審査を受けているような、

いつも見えない誰かに後ろをつけまわされて評価点をつけられているような、

 

そういう心構えで生活してたような気がする、最近。

 

やめる方法。。って考えたけど、よくわかんないので、とりあえずやめます。

少なくともラクではないなあ、こういうの。私には。

どうすればいいのかわからないけど、そうなっちゃっている私であることはとにかく認めてみます。

 

最近、この姿勢で何にでも向かっていたのかなと思いました。

「自分を大切に生きれていたらOK」ゲーム。

 

日々の心持ちとか、「自分を大切に」っていう枠にはめようとして、

(うまく言えないのですが、例えば怒りが出てきたら、まず感じきって、そのまま解決しようとしないで・・・というように、一連のマニュアルに従ってるような感じ?)

 

ただそのままの自分の心が感じることですら、なんとなく制限かけてた気がします。

 

でも、

例えば同じ怒りでも暴走を許すような野放し状態にするんじゃなくて、

軸を自分に取り、自分が怒り狂うくらい傷ついているという視線を持つように意識することは、

自分にとっても周囲にとっても被害が少ないことがわかってきたので、

そういうツールとして活用するのはいいと思う。

 

ああそうですね、「ツールとして活用」するのがいいのですね。

お、なんかストンときましたよ。

 

その方法に乗っ取れていたらOK!ゲームに一喜一憂するのではなくて、

その方法をツールとして活用して、

自分にとっても周りにとっても、よりハッピーな人生にすること。

 

見据える先が違うっていうのかなあ。

なんかちょっとわかった気がします!

 

 

ーーーーーーー

 

えっと、そんなわけで残りはただの愚痴?にしようと思います(笑)

何があったのかと、感じたことの記録だけしておきます。

 

毎日会うのは仕方ないのですが、昨日少し揉め事が起こり、

ああこの人はもう完全に私を「空気」としかみていないんだなあ、と感じることがあったんですね。

 

たぶん、そこで私が歩み寄ろうと一歩を踏み出したり、

「それってどういうつもりでしたの?」と聞くことをしていれば、

違った答えが出てくるのかもしれないけど、

 

昨日いろいろ感じていて、一番強かった思いは

「この人が怖い。」だったんです。

 

怖い、近寄りたくない、関わりたくない。

「こんな奴もう関わるのはごめんだ」っていう意味のそれじゃなくて、

なんていうんだろう・・・ただ、怖いんです。

 

また怒鳴られるかもしれない、また大声で威圧されるかもしれない、・・・・

 

私の被害妄想もいくぶん入っているかとは思いますけど、

こういう気持ちが一番強くて。

私は怯えていました。

一番大きなのは怒りでも憎しみでもなくて「怖い」だったと気づきました。

 

ただ怒鳴られて怖かった。大声で私の言葉をかき消されて、今にも殴りかかってきそうな剣幕で、私は震えて逃げることしかできませんでした。

当時を思い出すと今でも震えるくらい怖いし、私の中でなんにも消化できてないです。

怒りや惨めさや憎いという気持ちも、あります。

一度は仲良くなって好意的に見ていた相手に、そんなことを感じる自分にも嫌悪感があります。

 

そして私がもっとも恐れていたことは

「人の気持ちが急に変わるのが怖い」ということでした。

 

急に態度が変わったり、

急に冷たくされたり、

急に離れていかれたり、

そういうことを私は本当に恐れているんだということ。

 

 

ーーーーーーー

余談ですが、

この気持ちを見て、思い出したのは両親のことでした。

小さい時はよく理不尽な怒られ方をしたし、

「なぜ悪いのか」を教えてもらえないまま、わけもわからず急にキレられたりしました。

 

「どうして急に怒るの???」っていつもビクビクしてたなあ。。

 

こういうことをしたら危ないからダメなのよって一言あればよかったんだけど、

そして私も「どうして?」って一言聞けばよかったんだけど、

 

それをしないまま、

「怒られないために、いつもいい子でいなくては」ってなって、

 

常に誰かの審査を受けているような、

見えない誰かに後ろをつけまわされて評価点をつけられているような、

 

そういうふうになっていって、

 

でも大人になって私はとっくにそんなもの手放せる時期になったのに、

いつまでも掴んでおいて、そこに逃げられるようにしてたんでしょうね。

 

そう考えてみれば、これがいかにくだらない、馬鹿らしいことだったか。

でも最初の職場を辞めるくらいまで完全にこういう思考でした。

 

それと、両親のせいとかそういうのを差し引いても、

「人の感情の動きに敏感で」「真面目ぶってしまう」性質は、

私の特性なんだと思います。

これらは今もぜんぜんなくなっていないし、

がんばってがんばって抑えようとしても無理だったので。。

 

今は、そんな自分に降参して、小脇に抱えながらそろそろと生きてみているところ。

 

ーーーーーーー

話が逸れました。

 

私がもっとも恐れていること、

「人の気持ちが急に変わるのが怖い」ということ。

 

だから、いつも保証がほしいし、

変わらない証明みたいなのをどうしても求めるんです。私は。

私の思考癖は損得勘定や打算を自然としてしまうところで、

これはもうそうなっているのでどうしようもないです。

 

そこに感受性の高さや繊細さも本来の性質としてあるので、

どうしても先を見越して不安になりやすいし、

人の悪意を敏感に感じ取ってしまうから、嫌われないように動こうと考えがちだし、

 

なんというか、「そうなっている」んですよね。

 

これは数秘術でみてもらったことなんですが、今さらだけどそうかと思いました。

私は生まれながらにそうなっていて、

そこを力技で「惑わされない自分になろう」としても無理なんだと思う。

 

私はずっとこういう、人目をめちゃくちゃ気にしたりビクついてしまう自分が嫌でたまらなくて、

どうにか変えたくて、強くなりたくて頑張ってきたけど、

 

本来のそういう私を変えるなんて無理だから、

それよりもこうした自分であることを認めて、その自分で生きる方に「がんばる」ほうが、ずっと良いのではないか。

やっぱり今は、そう思いますね。

 

私はいつも安心できる環境が変わらない保証がほしくて、

 

仕事でいえば「堅い職業」「安定した収入」を求めたし、

 

結婚したいという気持ちも、この要素があるんだと気づきました。

 

結婚すればずっと一緒にいられる可能性が高くなるから?

でも離婚や死別や、いつ何が起こるかわからないのに。

求めるのはいいけれど、そこに完全に自分の幸福における救いを求めるのってどうなんだろう。

 

それさえあれば。。

あれば、どうなるんだろうって、思ったら、

 

「今を安心して楽しみたい」

 

でした。

 

書いてみれば当たり前じゃないかって思ったけど

なんかこの言葉がストンときました。

 

今を安心して過ごしたいです。

不安に持っていかれることなく。

 

だから、結婚も将来の保証みたいないろいろも、

私は求めてしまうと思うけど、

 

そこは素直に求める気持ちのままに、ほしいものは素直に手を伸ばして、

でもちゃんと今も楽しみたいと思います。

 

不安をいっぱい感じていても、楽しみも感じられるというか、

そういう両極にあるようなものたちも、

どちらかを排除するとか偏るんじゃなくて、そのまま置いておけるような器の女性になりたいな。

 

 

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気持ちが乗ってきたので今日はさらに書きます^^

 

いろいろ、こうして自分を見つめたり、

気持ちを丁寧に感じたり、

私ってこうなんだなあと腑に落ちたり、

 

これら、大切なことだけれど、

その奥の方にちゃんともっと大切な気持ちがベースとしてあって、

 

私はこういう足りない(ように見える)弱い自分のままで生きていきたいと思っているけど、

同時に、一人では生きていきたくなくて。

結婚するしないという現実的なこともあるけど、何より気持ちの上で。

 

 

私はやっぱり好きな人と一緒に生きたいです。

女性として男性と一緒に、気持ちを通わせ合って生きていきたいと思っています。

 

言葉にしようとするとむずかしいのですが・・・

「わたし恋に生きるわ!」っていうことじゃなくて、^^;

 

なんていうんだろう、

でも単純に、好きな人と一緒にいると幸せですよね。

わたしは今は彼氏と一緒にいる時がいちばん幸せです。

 

研究の成果を人に褒められて嬉しいとか、

有名な政治家と会えて興奮!とか、

世の中を変える活動!とか、

はたまたお金をかけて高級なものを買うとか、

そういうものたちとは、なんていうか嬉しさの次元が全然違くて。

 

何かをしてもらえるからとか、何かを与えてくれるからっていうのじゃなくて、

ただ一緒にいるだけで嬉しいんです。(・・・恥ずかしい!でも書く)

 

女性として心を許せる男性と、

関係し合って、気持ちを通わせ合って、

お互いの気持ちや時間や、人生を共有していられるということ。

そういう時間を過ごせるということが。

 

彼氏がとても私を大事にしてくれるからというのもあるけど、

そうやって素直に男性を求め、委ねていられる自分で在れることが何より嬉しいんですよね。

 

それは、嬉しいことや楽しいこと、喜びを共有できることももちろんだけど、

違う人間だから時には衝突もあって、

 

相手に感情をぶつけてしまったり、

勝手に疑心暗鬼になったり疑ってしまったり、

逆に相手の何気ない一言に傷ついてしまったり、

怖くても「それは嫌だ」って伝える勇気が必要だったり、

 

そういう「心地良いと思えないこと」も、必ずついてくるのだけど、

 

それらが嫌だから、面倒だから、じゃあこの関係やーめた!とならず、

それでもこの人と一緒に生きてみたいって、

そう思わせてくれるということが、そういう自分で過ごせていることが、今はとても嬉しい。

 

今お付き合いしている人が、私にとって実質的に初めての彼氏さんなのですが、

これまでの片思いの相手などを思い出してみると、

今の人が一番、私が素の状態で接していられる相手だと思います。

 

一番というか、これまでは何が本当の自分なのかわからないような状態で恋愛するのがデフォルトだったので。。

(恋愛マニュアルを鵜呑みにしたり、女性とは〇〇であるべき!思考でガチガチだったり)

 

だから今は、自然な自分でいられるのも彼のおかげだし、

彼だからこそ今の自分を引き出してもらえているのもあると思う^^

大好きです*^^*

 

彼とお付き合いしてから「私ってこんなんだったんだ・・・!」って思うことばかりで、

 

内容のある面白い会話とか、ポンポンとテンポよく会話とかもできずにぽーっとしているしかできないし、

(自分が今までいかにハリボテの賢さで武装していたかがわかっていつもいたたまれないです。。)

 

デートプランもよくわからなくて「なんかこういうのがいい」って感覚を伝えるしかできないし、

ときおり常識が欠如しているし、教えてもらわないとわからなかったり、

なんかいろいろできなくて代わりにやってもらったり。。

 

なんだろう、

たぶん彼も、人よりすごくしっかりしているとか、

男性として女性の扱い方にすごく秀でているとか、

そういうわけじゃないと思うんですけど

(卑下しているのではなく、そこは私と同じで足りなさもあるから)

 

私があまりにもできないので。。降参して彼に頼っています。

 

頼る、甘える、助けてもらうというのは、

私にはやっぱり最初怖くてうまくできなかったのですが、

彼は嫌な顔ひとつせずにやってくれるんですよね。

 

逆に私が申し訳なさそうにすると「大丈夫だよ」ってフォローしてくれたり、

なんかもう助けられっぱなしで、

私ってこんなに弱くて何もできないただのオンナだったのか・・・!と身悶えつつ、

素直に降参して彼に甘えてみることにしています。

 

男性ってこんなに優しいんだなあって思いました。

これも、私にとって嬉しい衝撃でした!

だってこんなに大切にされたことない!(自慢することじゃないですね^^;)

 

もちろん彼も完璧じゃないし、

私と同じで?(良い意味で)常識から外れているタイプで、

たまにビックリするような言動もするし、

私をからかって変なことを言いたがるから喧嘩もするけど、

 

自分の足りなさをすごく彼に助けてもらっていることは、

もう認めざるをえないくらい私、弱くなったというか。

彼の前ではほんとただのオンナで、(嬉しいですけどね^^)

 

だからこそ、いつも素直にありがとうって言えるんですよね。

 

なんか、自分が負けてるのが嫌だとか、相手からもっと求めてほしいとか、

そのために「男性をこう褒めて好感度アップ!」とか「あえてつれなくすることで男性に追いかけさせる!」とか、

計算尽くでする恋愛がいかに自分に合ってなくてしんどかったかがわかりました。

(↑アホみたいですけど私こういうことばっかりしてたので。。はずかしー^^;)

 

計算で「感謝を伝えよう(その見返りにこうなってほしい)」じゃなくて、

ただありがたいって思ってるからありがとうって言える、

それだけのことがすごくラクだし、自分も嬉しいし、快適だなって思います。

 

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こういうことを、こうして人前?で話すのは、なんだかいけないようなことの気もしています。

調子に乗っちゃったらいけない、みたいな。。

でも、今、私はすごく幸せだっていうことを、ちゃんと認めておきたいなと思ったのでした。

 

ほんと、大げさだけど、この人と付き合えただけで私の人生最高だわー!と思いましたよ。

今までなかなか恋が実らず悲しい思いもいっぱいしたけど、

今の彼と付き合う今に至る道のりとしてちゃんと続いていたんだって思うと、

許せるっていうのもなんか変だけど、よかったんだなあって思いますよ。

 

何のご縁かわからないけど、

こうして出会えて、好き合って、付き合うことができて、

今こうしてお互いの大切な時間を共有して、

嬉しいことも悲しいことも、いろんなことを一緒に共有して、

 

それだけのことで、私はこんなにも満たされて、

 

なんていうんだろう、私の人生を最後に引き受けるのは私なんだけれど、

そこは確かで、どんなに大切な人でも代わってもらうことはできないけど、

 

でも、それとおんなじくらい、彼と一緒に生きていける幸せも、

私にとっていちばん大切だと思う。

どちらか一方があればいいというのじゃなく、

わたしはどっちも欲しいです。

女性として、男性に愛されて幸せを感じたいです。

 

彼と一緒にいると、そんなことをいつも思います・・・*^^*

とっても幸せです。

 

惚気をいつか書きたいと思ってたんですよ!今日書けてよかったです!

 

 

今日はこんなところです^^