始末に困る人

ちょっと仕切り直してみました

前記事の補足。。「私を苦しめた過去」というラベルをつけず、「ただそうであった」という事実として存在することを許すということ。

前回の記事について、
またいくつか浮かんできた思いがあるので補足です。
 
 
私、彼に無視されたり酷いことを言われても、これは罰なんだって思っていたみたいです。
 
私にも悪いところはあったし、償わなければならないんだ、これは報いなんだ、って。
 
ふとそのことに気づいたら、なんでそんなおかしな考えでわざわざ自分を縛ってるんだろうと思って。
結局、自分を縛っていたのは自分自身だったのかなって、思いました。
 
それで、もしも仮に私が罰を受けなければならないのだとしても、もうここまででいいって思ったんです。
もう終わりにしていいって。
 
それは「もうこれだけ苦しめば十分でしょ」っていう意味での「もういい」ではなくて、
説明がむずかしいのですが、とにかく自分が「ここまで」って感じてるのがわかりました。
 
今回のことを、
 
「私を苦しめた過去」とか
「こんなに傷つけられた」
「でも私も悪かった」
「もっとこうしていればよかった」
 
そうやってラベルをつけて思考で綺麗にまとめて、これでおしまい!って見えないところに押し込めるんじゃなくて、
 
わざわざ引っ張り出してこねくり回すこともしないけれど、
 
ただ、そのまま「それ」として存在することを許したような、
 
そんな感覚です。
 
「それ」を、ただの出来事である「そういうことがあった」という、ただの事実として、
そのまま私の中に置いておいてもいいとすることを許すことにしました。
 
いつかまた、ふいに思い出して辛くなったり悲しくなったりするかもしれないけど、
そういうことも全部含めて自分に許しました。
 
 
 
私は優しい世界で生きたいと思っているし、だから周りの人もできるだけ善意で捉えようとは思っています。
人類皆兄弟とはいかなくても、まずは相手の良いところを見ようとしたり、この人が私に教えてくれることはなんだろうって意識でいます。
 
これまでにも辛いことや傷ついた経験から学んだことはあったし、「これでよかった」と心から思えるわけではなくても、自分の糧にできたという感覚は掴めていたつもりでしたが、
 
今回のことはそれらとはまた違う世界に触れた初めての経験というか、
単に「辛いことがあった→でも学びもあった→めでたしめでたし」というようなカテゴリーに分けられないことだったように思います。
 
私が悪いのでも、
 
相手が悪いのでもなく、
 
「価値観の違い」って言ってしまえばそれまでなのですが、
 
同じ人と人であっても、時と場合によっては、ぶつかったりすれ違ったり、こうでありたいと望む方向にはまったく進まないこともあること、そして何をもってしてもそれを外側から変えることはかなわず、ただ「それとして受け入れるしかない」ということ、
 
それを身を以て体験した気がします。
 
なんていうか、「どうしようもないことを受け入れる」という経験は少なからずあったように思っていたのですが、
 
今思うと今までのそれらは、
たとえば家族や生まれのことだったり、性格や体質だったり、
 
「思い通りにはできないと諦めやすい」性質のものだった気がします。
 
今回私が受け入れたのは、「誠心誠意尽くしたとしても、通じないこともある」という事実でした。
私はこれをずっと受け入れたくなかったんだと思います。
甘いと思われるかもしれないけど、やっぱり心を込めれば返ってくるって、最後はそういう心が報われるんだって信じていたかった。
でも、とうとう直面してしまった。
 
 
今回彼とここまで関係がこじれたのはきっかけがあって、ある一回の口論に始まったことでした。
それは私が「ちゃんと話したい」と働きかけたことが始まりでしたが、
 
彼が頑なに「自分は悪くない、〇〇さん(私)がすべて悪い」という姿勢を崩さず、
なら謝るから無視はやめてほしいと言っても聞き入れられず、逆に人格を否定するようなことを言われ、
耐えていた私もついカッとなって応戦してしまったことです。
 
今でも思い出すと体が震えるくらい怖かったのですが、
あの時わたしがもう少し冷静になっていたら、
もう少し違う言葉で話していたら、
あの一言を言わなかったら、
 
違う未来があったのかなあなんて思ったりもしたのですが、そういうことじゃないのかもな、と感じます。
 
これは根拠もない私の感覚ですけれど、
たぶん、このとき私が冷静になっていても、いずれどこかで関係がこじれるようになっていたような気がします。
私と彼はそういうふうにして出会っていて、そういう流れの中にいたのではないかと思うんです。
そういうことを教えてくれる相手であったとせめて思いたいという私の希望かもしれませんが。。
 
もちろん私の対応次第で関係は改善していたかもしれないし、
だからその時にできる、自分なりにこうだという選択を愚直にし続けるしかないのですが、
 
どんな結末になったとしても、
今回のことでいえば自分にとって最悪ともいえる結果(せっかく仲良くなれた彼と最悪の関係になった)であっても、
 
やっぱり相手の出方や考えは、一つも私の思い通りになんてすることはできなくて、
「諦める」とは少し違うのですが、
 
ただそうである、そうであった、というただの事実を、
「それ」として自分の中に許すこと、
そのままにしておくのを許すこと、
 
私にとってはそれが一つの「ここまで」の付け方になりました。
そういうことを、体験として学べた出来事でした。
 
 
そして思うのは、
やっぱり私は、心を込めれば返ってくると信じたいと思っているってことです。
今日日そんなこと言ってたら騙されて終わりだよって笑われても、私は信じるところから始めることを自分に許したいです。
 
矛盾しているようですが、そう思えるのは今回の出来事を経験したおかげでもあって、
 
結末が最悪だったぶん、
逆に、最悪な結末になるとしたらこれくらいなのか、って冷静な目線が身についたように思います。
 
そりゃこんなことは繰り返したくないですけど、
最悪の形での転び方がわかったぶん、また進むことに対して恐れが緩和された気がするんですよね。
 
転んだらどんな大怪我しちゃうんだろう?怖い!って思ってたら、やっぱり始めの一歩を踏み出すのが怖いけど、
一度大怪我してみたら、次に気をつけるポイントもわかるし、痛いのは嫌だけど最悪これくらいか。。って思えていればちょっと怖くない気がします。
 
そんな感じ。
 
今回のことはだいぶ長らく彷徨っていた案件なのですが、
ここで一つの区切りを自分の中でつけられたんじゃないかなと思いました。
 
これ一つとっても、私が「私と彼の関係」に執着していたらわからなかったことで、
私にない目線を人にもらえたからこそ引き出された感覚がたくさんありました。
この場を借りてお礼を言わせてください。改めてありがとうございました。
 
 
今日はこんなところです。