始末に困る人

ちょっと仕切り直してみました

わたしの「ただの自分に戻る」軌跡【真穂さんと出会ってからこれまでを振り返って】

昨日は東京に遊びに行ってきました^^

台風がきてたけど電車止まらなくてよかった〜。

 

 

今更なんですが、遠出したりあちこち飛び回るって、すごく大変で疲れることなんだなあと思ったんですね。

以前のわたしだったら、どこへでもバリバリ出かけてたんですけど、それって無理していたんだなあと思いました。

 

 

さて、わたしがこのブログを書くきっかけになったのは

「ただのオンナ」(現在は「Just a woman スクール」という名称になったようです^^)

青戸真穂さんのセッションでしたが、

 

gungungunmachan.hatenablog.com

 

 

それがちょうど一年前ですね。

 

ついでだからそこからの流れをまとめておこう。

 

わたしはそのとき行ったきっかけが進路のことでした。

仕事をやめて大学院に入り、研究者になるつもりだったのですが、

 

いよいよ卒業試験〜論文審査〜口頭試問、といった最後の関門を控え、

そのときまだ就職も決まっておらず、

日々焦りと不安の毎日でした。

 

入学以来、仕事を辞めてきたという負い目もあって、

研究をひたすら頑張り続けて自分のキャパ以上に無理をし続けてきて、

心身共にギリギリのラインまで追い詰められていた状況で、

何かが切れちゃったんですね。

 

周りからは当然のように「立派な女性科学者」になると期待されていた中でのことでした。

 

でも先輩たちや周囲を見渡してみて、

「女性」という面にフォーカスしてみると、

 

結婚できている人は一部で、

それも学生結婚でないかぎり一般より遅く、

そもそも研究者でやっていく、と決めた時にはすでにお相手がいて、

のちのち結婚することはすでに視野に入っていた。。

というようなパターンの人しか見たことがありませんでした。

 

結婚していることが正しいといいたいわけではないし、

結婚していなくても、いろんな形で女性研究者として輝きながら活躍している人もたくさんいます。

もちろん結婚して家事や子育てをしながらとてつもない激務の研究生活をこなしている人も多く、ほんとうに尊敬しています。

 

一方でわたしは、

恋愛がうまくいかないことも真穂さんに最初相談していましたが、

そのとき結婚の予定もなく、恋人もおらず、できる兆しすらなかった。

 

あれ?

わたし、このままいったら、やばいんじゃ・・・?

 

と思ったのかもしれません。。

 

そのときのわたしは、結婚のことってぼんやりとしか考えたことなくて、

「まあいつかはできるだろう」

「いざとなれば」

「そのうち」

という、なんともフワフワした向き合い方しかしたことがなく。

 

それに恋人がほしいといいながらも色々ずれたことしかやってなかったから^^;

(プライドまみれの自分はそのままに、思い通りにしたい!みたいな)

もう根本から直さないと本当にやばかったんですよね。

 

このときはまだそこまでの危機感はなかったけど、

そのまま行ってたら確実に恐ろしいことになってたんだろうな。。。

 

なにか本能的に「このままじゃ、やばい!!!」って感じたのかもしれません。

 

それに結婚のことだけじゃなく、

仕事としても、研究者をやっていくのは無理だろうと思ったんです。

 

わたしは本当に教授や先輩や周囲に恵まれていて、

わたしが大したことないのに全力で助けてくれるから、調子に乗っちゃってたんです。

 

そりゃ実際に実験データ出したりプレゼン資料つくったり、書類の原案とかわたしが書いてましたけど、

(ラボによっては教授が代わりにやってしまうこともあるらしいけど、わたしの経験のためにやらせてくれてたんですね)

 

教授のサポートが本当に上手で、わたしの力をうまく引き出しつつ形にしてくれるから、

それなりに学会発表や論文もうまくいって、賞もたくさんもらえたんです。

学生としてはけっこういい感じの賞とか。

 

それはそれでとても嬉しかったし誇らしかったけど、

彼らのサポートありきの成果を「わたしが優秀だから」って勘違いしてたんです。。

 

もちろん、当時はそんな露骨なことは思ってませんよ^^;

でも深層心理というか、無意識にドヤってましたね。

 

わたしが能力があるから、ここまでこれたんだ、ってね。

素質がない人ならここまではできないだろう、とかいいように考えて。

 

なんなら周りの友人も見下してましたよ。

恥を忍んで書きますけど、

ふつうに就職してふつうに働いてる子とか、

早々に結婚して主婦になった子とか。

 

彼女たちも、彼女たちなりに日々大変なことがある中で、

会えばやっぱり愚痴とか、上司や夫の悪口とかにもなったりして。

 

それを聞いて

「大変ねー(わたしは好きなことをして充実してるけど!)」

「お勤めしてるだけすごいよー(わたしは学生だけど、これだけの成果をだしてるんだから!)」

とか思ってましたから。。もう恥ずかしすぎて痛い。。

 

それね、全然わたしの実力でもなんでもなくて、

たまたま運がよかった(人に恵まれてた)のと、

わたしは能力があるんじゃなくて、頑張ればそれなりにできてしまうだけなんですよ。

 

というか、たいていの人はそうじゃないですか?

「死ぬ気で頑張れば」たいていのことってそれなりにできますよね?

 

ただそれだけのことで、

いつもアクセル全開の全速力だったから、

それなりにできているように見えていただけだと思う。

 

ただわたしの場合は、その「死ぬ気の頑張り」を尋常じゃないパワーで持続させていたっていうだけのことなんです。

そしてそれは、わたしが人一倍「人に評価してもらうこと」を最優先にしてたからなんです。

わたしは自分で自分を認められなくて、人に評価されることで価値を見出したくて、

そのためだったらどんな無理も無茶もできてしまっていただけなんです。

 

だから常にどこか緊張して疲れていたし、イライラして余裕がなかったんですよね。。

 

それに気づき始めたとき、初めて「本当は研究がそんなに好きではない」という事実が見えてしまった。

たぶん他のことよりはなにか心惹かれるものがあったんでしょうけど、

純粋にそれが好きで続けられる、という種類の好きではなかった。

 

だから、「人に評価されるための道具として使っていただけ」と気づいてから、

あんなにバリバリやれていた研究に対して、どんどんやる気がなくなっていきました。

 

燃え盛るキャンプファイヤーが急に線香花火になっちゃったみたいに^^;

ぜんぜん研究に心が向かない日々が続きました。

研究を仕事とする科学者なんて考えただけで身震いがするほど嫌になりました。

 

そんな状態だったから、就活もしたくなかったし

(普通この時期の就活とは「次に何のテーマで研究するか」を考えることが前提)

 

だからといって研究者になる以外の道も考えられなくて

(研究に未練があるとかじゃなく、単に他にやりたいことも思いつかなかった)

 

どうしていいかわからなくて。

真穂さんに出会ったのはそんなとき。

 

だから最初は「研究者はやめます」となったんですけど、

そこ(研究をどうするか、大学院をどうするか)に向き合わずにずっときてしまったなあと、今振り返ってみて思いました。

 

わたし、真穂さんにも言いましたが、超不器用だから劣等生だと思うけど頑張りますって。

 

だから最初は「ただのオンナ」もいろいろ勘違いしてて、

言われたことを【そのときのずれてる自分目線】でしか取り入れないから、

なんか表面を撫でるだけの浅い取り組みになってしまっていたと思う。

 

たとえば、「やりたくないことはやらない」。

これひとつとっても、かなり深い意味があっての「やらない」だと思うんですが、

 

わたしはなんか微妙に勘違いしてて。

自分に無理させない、はそれはその通りなんですが、

一番大事なところ(↑研究のこと)をなんとなく見て見ぬ振りをしたまま、

「やりたいことだけやる♡」と受け取って、

昔から興味はあったけど本格的にやれていなかった政治活動に精を出し始めました。

 

えっと、一応ですけど、

政治活動といってもビラ撒くとか街宣するとか、選挙の応援とかじゃないです。

特定の政党や政治家の支持や応援もしていません。

 

ただ、古事記のことなんかも書いてる通りわたしは日本が好きなんですよ。

生まれ育った祖国を当たり前に愛せる社会になってほしいだけです。

 

だから、保育園落ちた日本◯ねとか、ああいうのは本当に腹がたつし、

今の与党にも野党にも言いたいことはたくさんあるけど、

 

そうやって「何かと戦って自分の正当性を主張する」のは嫌で。

自衛隊嫌いも日本◯ねも、別に言いたい人は言ってればいいと思うけど、

彼らを間違ってると断罪するつもりもないけど、

 

ただわたしは日本が好きだから、

日本に住む人や、そして世界が、もっと平和で豊かで暮らしやすくなってほしいと思っていて、

そのためにできることがあればやりたいと思ってるだけ。

 

だから、そういう思いを同じくする人というのも少なからずいて、

政治家の世界も怖いところだけどそういう思いを持つ人もいるから、

だけどやっぱりそういう人って少数派だから色々苦労していて、

わたしは微力なりに学んだり行動を共にすることで、何かできたらいいなと思ったんです。

 

それが10ヶ月前、2016年の12月くらいかな。

やると決めてみたら不思議とあっという間にご縁が繋がって、どんどんその世界(政治)に入っていって。

そこからずっと、大学で研究しつつ空いた時間を政治につぎ込むという二重生活していました。

 

そこから始まって、この時期は本当にいろんな世界との繋がりができた時でした。

それまで研究(と医療)界しか知らなかったわたしですが、

政治家や官僚の方を始め、経営者、企業の幹部、個人事業主で様々な事業をされている方、その人達をサポートする人や団体、社会に様々な形でかかわる活動団体、、

老若男女さまざまな知り合いが一気に増えました。

 

この約半年、2016年12月〜2017年5月頃はブログでもかなり突っ走っていたと思います。

というか、また違う意味で調子に乗ってた時期です。。

「頑張る方向」が変わっただけで、「人に評価されたい」わたしの本質はほとんど変わってなかったと思います。

 

さらに恋愛も、そんなわたしを反映するかのように全くうまくいきませんでした。

片思いしていた同僚には修羅場の末にこっぴどく振られ、

それを埋めるように次の人にまた同じように片思いし、それも残念な結末に終わり、

こうしてみるとこの頃は恋愛はボロボロですね^^;

 

 

gungungunmachan.hatenablog.com

 

 

そんなわたしの暴走を見かねた真穂さんに一言注意をいただくという始末。

ちなみにこのとき、コース期間は終わっていたのにも関わらず、ズレてますって教えてくれたんです。。ありがたくもただ自分が情けなく、この時は本当に迷走してました。

 

 

そこから、やっと自分を見つめていい方向へ軌道修正!!とカチっと切り替えられればよかったのですが、

まだしばらく迷走は続きます。

スパッとかっこよく次のステージへ!という感じでもなかったのです。

 

ただ、この頃からすこしずつ研究のことに意識が戻り始めたんですね。

 

 

gungungunmachan.hatenablog.com

 

 

gungungunmachan.hatenablog.com

 

 

ずっと目を逸らしていたこと、

研究とどう向き合うのか、わたしの女としての人生をどうしていきたいのか。

あ、あと初めてちゃんと付き合えた恋人(今の彼)ができたのもちょうどこの時ですね。

 

このころはまだそれがラスボス並みのモンスターだと思ってたので、

踏み込めずに足踏みする日々が続きました。

 

しかしある人との出会いを経て、そんな自分を改めて直視することとなり、

一度仕切り直したくなってブログを休止。

(この人も普通に会える方ではないので、政治活動でできたご縁がなければ出会えなかった)

 

gungungunmachan.hatenablog.com

 

1ヶ月、自分の「ただの日常」を、ただ過ごしました。

ちょうど8月ということもあって、ご先祖様のお墓詣りや戦没者慰霊などの機会もあり、自分の命ということについて感じ、考えることも多くありました。

 

 

gungungunmachan.hatenablog.com

 

そして再開。

まだこのときは、スパッと仕切り直して「こうだ!」と指針がはっきりしたわけでもなかったのですが、

↑でも書いている通り、

「人に何かをもらいたい自分」を脱する決意を静かにしていたんだと思う。

わたしにとっての「核」が、おそらくそこだったんです。

だからこの時のわたしの意識は以前と確実に違うステージに踏み込んでいたと思います。

 

 

gungungunmachan.hatenablog.com

 

gungungunmachan.hatenablog.com

  

gungungunmachan.hatenablog.com

 

 

そしてこれ。

何かがひっくり返った瞬間。

 

研究のことや、恋愛のこと、

わたしの人生、生き方のこと、

 

もう一つも余すことなく、すべて「わたし」にしたかったんです。

わたしを幸せにできるのはわたしの決意しかないんだって、

他の何かや誰かをその上位に持ってくるのはもうやめようって思ったんです。

 

実はこのころ、真穂さんのブログや他の人のブログ、

過去の自分の記録や、これまで買った本などを丁寧に読み返していました。

 

・自分を大切に生きる

・ありのままの自分を明らめる

・感情に蓋せずちゃんと感じる

・保証がなくても動いてみる

・女性性と男性性

・ノートに書くことの意味

・余計なプライドを捨てる

・大したことない自分を認める

・自分の価値観でジャッジしない

・与えられるものをただ受け取る

・今ここを生きる

 

こういう、自分を大切にする、自分を満たす、という、

今でこそ「情報としては」ネットやブログ、本にいーーっぱい溢れている言葉、

 

これらの意味するところが、

本当の意味で、わたしの人生に、私の心と体に、

染み込んできて、スッと馴染んで入ってきたような感覚がありました。

 

ああ、そうだったのか・・・・・

 

と、

ただただ、そうだったんだ、そういうことだったんだ。と思ったんです。

 

それまでと違うな、と思ったことの一つには、

少なからず本質が自分の中に入ってきたから、応用がきくんです。

 

その本とかブログで示してくれている「実例」ってありますよね。

こういう場合は、こういう仕組みなので、こう考えましょう、っていうやつ。

 

それまでは本質がちっともわかってなかったから、

その人たちが言っていることを表面的になぞるだけで、

その「実例」に適用できない事態が発生するとパニックになってお手上げだったんです。

以前だったら「助けて真穂さん!」みたいなやつ。

 

それが今は、、なんていうのかなあ、

全て完璧よ!なんて全然そんなことなくて、

何かあるたびに慌てふためいて、あたふたするのは相変わらずですけど^^;

 

戻ってこられる、っていうんですかね。

ちゃんと自分に還ってこられる。

自分はどうなの?というところに。

 

あ、これは、何かわたしのこういうところが刺激されてるのかな、とか。

あ、これは、わたしの気持ちを誤魔化してたな?いけないいけない、丁寧に見てみよう、とか。

 

で、ちゃんとその時なりに出した答えだとか、感じた感覚を信じられるようになった。

正解なんてないってわかるようになった。

 

やってみて、人が失敗と笑うようなことだって、自分を省みる糧にして、

そこに多少なりとも痛みが伴うとしても、

そこから軌道修正していけばどうにでもなっていけるということ、

その日々、その日常にしかわたしの望む幸せは見出せないこと、

 

それが、何の根拠もなくても、そうだと思えるようになった感じです。

 

まだ「そうだ」ときっぱり宣言するのは怖さもあるのですが、

たぶん「これ」がわたしの人生、わたしの生き方、わたしの軸で。

ようやくそれをちゃんと肚に決められたんじゃないかと思っていて。

 

だから必死で読み漁っていたブログや自己啓発本も、読む必要がなくなりました。

もう誰かの言うことをただ盲信してすがるようなことはしないと思う。

真穂さんの過去記事や卒業生さん達のは、綺麗にまとめられていて参考にもなるので読むのは好きですが^^

 

もうそれらには持っていかれないと思うんです。

わたし以外の何者にも、わたしを持っていかれない。

 

わたし、「ただ生きていて欲しかった」っていう自分の望みを発見して、

だって大切な人に「ただ生きているだけでいい」って言われたら、

もうそれだけで何も怖くない気がしたんですよ。

それが、大切なわたし自身がそう望んでいるってことなんだから、もうそれでいいって思えたんですね。

 

こういうことを、一言でいうと「自信」っていうんだと思う。

今の自分が、一番好きです。わたし。

 

 

。。

なんか、最初の話から脱線しまくりましたが、

昨日久しぶりに遠出したら、やっぱり疲れた!って思ったのと。

 

以前は時間をかけて色々活動して、頑張って、

でもその姿は本当の私の実力なんかじゃなかったんだな〜と。

 

本当のわたしは、ちょっと出かけるだけで疲れた〜ってなるし、

相手に気を遣って何かをしてあげるってことも、自然にはできないし、

自分の心地よいことしか選びたくない、したくない、

自分中心で自分大事で自分一番の、めっちゃわがままな「ただのオンナ」ってこと!

 

何かにつけて、やっぱりそうだよね、わたし「ただのオンナ」だよね、って

気づかされるというか、もう降参せざるをえないというか。

でもそんな自分がむしろ心地よくて好きなのです。

 

昨日は彼と久しぶりにデートだったんですけど、

彼との関係もこうやってさまざま変化してきている感覚がしていて、

まだ「わたしが頑張らないと」っていう要素を握りしめていることに一つ一つ気づかされては、

そんな自分をしつこく見つめ、勇気を持って捨てる毎日。

 

わたしね、彼といつまで付き合えるんだろうって不安だったんですよね。

だから結婚の約束してほしいとかあれこれ画策したりね。

でも最近ブログにも書いているように、いつかの未来のために今を犠牲にし続けている、そんな自分を見たら嫌になって。

 

彼とも毎日話したりたまにデートしたり、

お互いに気持ちなんて日々さまざまに変化する中で、

そりゃ保証があれば安心できるのかもしれないけど、なんかそれは本質ではなくて。

 

今一緒にいてくれている相手のことを、

今のわたしの精一杯で大事にして、好きでいて、

「恋人」という、家族でも他人でもない、男女の貴重な関係を通じて、

与えてもらっている時間や、経験、出来事、感情、気持ち、

そのとき受け取れるものを、精一杯受け取りたいと思って。

 

不安がるのはもうわたしの性分なので仕方ないと思いました。

それを見つめて感じて、引き受けるのはわたしだって覚悟を持っていれば。

 

わたしの問題だから、誰かに解決してもらおうと右往左往するのではなく、

その不安も抱えたまま、

でもそれに振り回されたり持っていかれることなく、

わたしの在り方を意識的に決めたいと思うんです。

 

だから彼とも、今は別れたくないと思っているけど、

一緒にいられなくなるならそれはそのとき、と思うようになりました。

そんなことを考えたり、不安がるわたしも、嫌で、目を逸らしたくなるけれど。

 

そこはわたしがちゃんと引き受けなければ、わたしに失礼すぎるから。

わたしは世界をどうする力も持ってはいないけど、

せめてそこだけは、わたしの領域なはずで、そこだけは他の誰かや何かに明け渡したくないんです。

それだけは小さくてもわたしのプライドだと思っています。

 

そういう気持ちで自分と向き合っていると、

やっぱり彼に対しては感謝だな、と思いました。

一緒にいて、こうして実践の場をくれて、付き合ってくれているから。

 

そうやって数えてみれば、数え切れないくらい与えてもらっていると思った。

わたしが勝手に歪んだ見方で「あれしてくれない」「これがない」とか見ているだけで、

なんていうか、それもこれも含めて、ただ与えてもらっていて、

受け取るかどうかは本当にわたし次第でしかないんだ、

彼がこうしたとか、関係なくて、

わたしの幸せはわたし次第でしかないんだ、と思います。

彼のことだって、こうして素直に「ありがとう」って思えている自分の方が、ずっといいから。

 

恋愛だけじゃなくて、すべてそうですよね。

やっぱり全部、つながっていて、根っこは同じなんだなーと思います。

 

さてそういえば今日は三連休最終日ですね。まったり過ごしすぎて忘れてましたが!

今日はちょっと実験しに大学に行ってきました。

遺伝学のことちょっと調べようと思ったけど、ブログ書くのが楽しくてこんな時間に。。

 

しかし休日に大学に行くの自体が久しぶりで、

それもこんなに自然に向かえているのが自分でもびっくりです。

「やらなくちゃ」が本当に抜けてきて楽になったなーと思います。

 

今日はこんなところ。ではでは!