始末に困る人

ちょっと仕切り直してみました

頭で考える「予定調和=人生の正解」に合わせる、という頑張りを放棄してみる。→今ここを生きるってことかも?

こんにちは。

 

週末は台風ですね。

群馬県は天災が本当少ないので、ちょっと雨が降ってるくらいですが。こんなときはじっとしている方が好きなので、絶賛引きこもり中です。

 

今日もゆっくり起きて、家のことをして、

近所の喫茶店に行ってまったりお茶しながら本を読んで、

お夕飯の買い物して帰ってきて、ご飯食べてお風呂はいって、寝る準備。

 

うーん。。それにしても、今までのわたしだったら考えられない。。

 

常に常に、「何か活動している」状態でないと不安でしょうがなかった。

 

ときどき体を休める時間があっても、頭の中は

「明日の実験どうしよう」

「まだあれが終わってない」

「早く次の準備しなくちゃ」

って、【次の予定】でいっぱいで。

いつも何かに追われていて、いつも何かに怯えて不安だった。

 

この前「もう頑張れません」宣言を、一番身近だった先生に話して、

家族にもすべて晒して、

友人や周りにもそのままのわたしをさらけ出してきて、

 

ずっとラスボス級のモンスターくらいに怖かったそれが、

すべて捨てるくらいの覚悟で決心してようやく踏み込むことができて、

でもいざ動いて見たら、実はそんなでもなかった。

絶対にこれだけは倒せないと思ってたくらいの敵が、実は自分がつくってた妄想だったってようやく見えてきて。

 

そのこわさっていうのは、

例えば「優等生のわたし」から脱落する恐怖とか、

周りの人に呆れられる、見放される、失望されるという恐怖、

もう強がって「できるわたし」を振りかざせなくなる恐怖、

「わたしはこんなに頑張ってる!」という「わたしは特別」感に浸れなくなる恐怖、

他にもいろいろ。

 

わたしはずっと走り続けてきたから、止まったら終わりだと思ってたんです。

それこそ、子供の頃からずーっと走り続けてました。

いつも何かを目指してました。

いい学校、いい職場、いい資格、いいキャリア、いい生活、って

次、次、次、ってずーーーっと。

 

そのレールを走り続けて、いろんな困難をクリアしていけば、

いつか幸せになれる、いつか報われるって信じてました。

このステージをクリアしさえすれば次こそ幸せが待ってるんだって信じて走ってきて、

そんなことを何度も繰り返して、その度に裏切られて、

もう自分が何のために頑張ってるのかもわからなくなって、

 

わけがわかんなくなって爆発したのが去年。

でも爆発してくれて本当によかったなあと。。

あのまま行ってたらどうなってたんだろう。。こわい。

 

止まったら死ぬと思ってたんですけど、なんかまだ生きてます。

なんなら前より毎日がずっとラクで、ずっと心地よくて、ずっと楽しくて幸せです。

 

わたし、ずっと「ただ休む」ってことをしたことがなかったんですね。

何に怯える必要もなく、

何の準備をするでもなく、

ただそのときの自分の体と心を休める、という行為が。

 

それって、こんなに気持ちいいことなんだーーーー!!!って。

毎日が本当に嬉しくて。

「いつかやってくる困難に備えるために今何かしておく」ではなく、

「ただ、今このときを心地よく過ごす」っていうのが。

 

頭で考えて、予定調和に合わせようと必死にならないということが。

何も考えずに、ただ休みたいから休む、ただ学びたいから学ぶ、ただしたいことをする、ということが。

 

それをただひたすら実践している毎日なんです。

 

わたし、こんな生活していたら絶対堕落していずれ死ぬと思っていて(しかしなんですぐ「死ぬ」とか極端な妄想するんですかね、わたしは^^;)

 

でもなんか、案外なんとかなるんじゃ?って感じている、今日この頃。

 

その「なんとかなる」っていうのは、

「いいことしか起こらない」っていう意味のそれじゃなくて、

何がやってくるかなんてわからなくて、

でもわたしがこういうわたしで在ることを意識的に選ぶ覚悟があれば、

どんなに揺れてもちゃんと戻ってこれるよねっていう。

 

わたしに対する信頼、と

この宇宙に対する信頼、というのかな。

 

失敗が、失敗じゃないってこと。

よく「失敗は成功のもと」っていうけど、

失敗って、別に「成功するためにするもの」じゃないよなあと思いました。

 

なんか急に今日ノートに書いてて、そう思って。

うまくいえないんですけど。

「いつか成功するために、失敗っていう経験も積もう!」じゃなくて、

なんだろう、

失敗は失敗のままでいいじゃんって思って。

というか「成功(=正解)」も「失敗(=間違い)」もないよね?って思ったら、そういう区別がなんか違和感に思えてきたんですね。

 

やっちゃった!ってことを、頭で「次に成功するために分析する対象」としてみなすことないんじゃないかって。

もちろん同じ失敗を繰り返さないっていうのは大事なんだけれど、、

どんなことだって受け入れればいいじゃないって、なんかそう思ったんです。

「成功=いいこと、正解」だけほしい!それが目的!じゃなくてさ、

何がきたってまあいいじゃない、って。

 

たぶん、頭で考えるのを意識的に放棄しているからだと思いますが、

このわたしがこういう心境になるだなんて、珍しいな!これはなんか新しいな。

と思ったので書いておこうと思いました。

 

しかし感覚的なことを文字にするっていうのは本当に難しいですね。。

 

 

めんどくさい期は相変わらずなんですけど、

やりたい放題休んだり好きなことだけしていたら、

毎日ちょっとずつ自分が満ちてきているのを感じていて、

ふつふつと何か湧き上がってきそうな気がしています。

あくまで気がするだけですが!やりたくなくなったらやめます。

 

とりあえず男女の遺伝学シリーズはわりと本格的にまとめてみたい。

研究も、嫌だめんどくさいもうやめるって思っていたけど、

なんていうか、一周ぐるっと回ったらやってもいいかなと思えてきました。

 

以前とは全然向き合う気持ちが違うんですけど。

「すごいって評価してもらうため」ではなくて

「わたしがただやってみたいから、やりたいようにやる」って感覚。

 

不思議と人の目が最近あんまり気になりません。

わたし、あんなに人にどう見られるかが気になって気になって仕方ない自意識過剰だったのになあ。。

自分が自分を満たしてあげてるからなのかな。

 

だって誰に褒められなくたってわたしの気持ちをわたしがちゃんと見てあげていれば、安心できるってわかったんだもの。

その感覚が嬉しすぎて。だから全部自分次第なんだなあって思っていて。

それは、もちろん人に認められたいって気持ちだって今もありますが、

それより自分が先なのです。

だから人の承認とか、以前のように絶対視しなくなったと思います。

 

何事もほどほどに、ってことなんですかね。

あとやっぱりこういうことって「生き方」だから、終わりがないんだなあと思いました。

今日もアドラー心理学の本読んでいて思ったんですけどね。

哲学とは「自分で考えるという道を歩き続けること」なんだそうです。

ゴールとなる正解はなくて、

ただ考え、対話し、永久にアップデートしていくこと。

その過程そのものなんだと。

 

わたしは自分を大切にする生き方をすると決めた時も、正解を探していたように思います。

「自分を大切にする方法」の正解(ゴール)を。

今も油断するとそっちに落ちそうになるんですけど、

「これさえやっておけば自分で考えなくてすむ」ってやつ。

 

いわゆる常識とか学校の試験も全部これなんですよね。

試験問題なら正解もあるけど。

 

人生でさえ正解を、「それさえあれば」ってやつを永遠に探してる。

だからいつも満たされないんだなあって。

わたしもずっと正解を探してたなあって思います。

 

 

人生に正解なんてないよなあって、今は思うし、

頭でそうやって「知る」だけじゃなくて、ちゃんと自分の人生をそう展開していきたいと思います。

 

三連休の初日は、こんな感じでした。

なんだろう、やっぱり「実践」ぽい何かがないとうまく書けないなあ。

何もない今日みたいな日でも、感じたことや思うこと、気づいたことってたくさんあるのだとは思うけど、、

やっぱり文章かくのって大変!

 

今日はこんなところです!