始末に困る人

ちょっと仕切り直してみました

やり直してみて思ったこと

なんか、私のクセというか、誰かに評価してほしい!すごいねって言われたい!って気持ちが、ほっとくとどんどん大きくなるんだなーと実感しました。

 

こうして改めてブログ書いてると、ほんとそう。フェイスブックのいいねボタンとか。それのために、見てくれや見栄えを気にしていたなって思った。

 

それって自分に自信がないことの裏返し。自分で自分にいいねって言ってないから、そうする勇気や覚悟がないから、お手軽にもらえそうな他人にそれを求める。

 

それ、実は全然お手軽じゃないからね。リスクあるからね。

 

今はもうそのリスクが痛いほどわかったから、人にちょうだいちょうだいって擦り寄るようなみっともない真似は意識的にやめようと思えるのです。

 

頭でわかってるつもりでも、実践してないならわかってないのと同じだからね。

 

下のいいねボタンみたいなやつ、なくしてよかったみたいです。私には。

いいね、つけてもらえるかも?って淡い期待を抱いてソワソワするようなみっともない真似しなくて済むのは。心が平和です。

 

他人の反応が期待できないんだから、自分で自分を乗せるしかないもん。自分が書きたいことを書くしかないもん。

 

それでいて、もしかしたら何人かは読んで何か思ってくれてるかもしれないってくらいの距離感がちょうどよくて。そこはやっぱり仙人じゃないしゼロにはできないというか。

でもこれなら読んでるなら何か反応をちょうだいよ!みたいに思わなくて済む。

 

「私の書きたいように、人にわかりやすくとか気にせずに書くので、わかりにくかったらごめんなさい💦(でもできれば何か反応してね、私を評価してね。期待してる!)」みたいな言い訳を最初にわざわざ書いたりね。←やってた。

この()の中が人に伝わるのかもね。

 

やってみないとわからないものですね、何事も。そんなやっちまった!的な経験でさえ、やっちまわなければ気づけないし、そこから先の今もないから。

 

昨日の古事記のことだって、評価されるためという在り方を私がしてたらたぶんもっと違う書き方してましたよ。

他にもたくさん面白い話聞いたもん。それらを「ちゃんと」「わかりやすくまとめて」書かなきゃ、って無意識にやってたはず。

 

でも、なんていうかな、特に面白くてうおー!ってなった部分や気持ちをただ書き放ってみたらこうなった。人に読んでもらうため、ではなく。自分のため。

だって本当に国生み神話とか人類の使命とか、すごー!感動!ってなったんだもん。

 

だから私昨日の記事に自分でいいね100個くらいつけたい(笑)この気持ちって、誰かにコメントつけてもらえるかなって口を開けて待ってるよりよっぽど楽しいよ。

 

ぜんぶ自分次第って、けっこう大変だし勇気いるけど、楽しい。