始末に困る人

ちょっと仕切り直してみました

【最後のセッションを終えて】ようやく「素のわたし」でお会いできました。ただただ、感謝です。

真穂さんとお会いしてきました。

もう個人セッションは基本的にされないみたいなので、実質的にこれが最後。

 

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お土産持って行ったら、真穂さんからもチョコをいただきました。

とっても美味しかった!

 

 

「自分を大切に生きる」を始めて、少しずつ、でも確実に変わってきたわたし。

その間も、いろいろな場へ学びに行ったりもしましたが、

何よりも真穂さんのサポートがなければとてもここまで来られませんでした。

 

ただただ、感謝しかありません。。

 

 

不思議なご縁。

同業の方なんて今の時代これだけ溢れているのに、本当に不思議なものです。

知ったのはブログでしたが、たまたま検索でヒットしただけで、誰かの紹介でもなんでもなく。

しかもブログもぜんぜん読み込んでいないうちに、

 

「あ、このひと」

 

っていう直感で申し込んだのです。

もちろん会いにいく前には一通り目を通しましたが。

 

なんというか「知識がほしくて」行ったわけじゃないので、確認作業みたいな感じでした。

あ、わたしと同じようなことを感じている人なんだなあって。

この人の言っていること、自然と心に入ってくるな、と思ったのです。

 

で、

まあそこからの紆余曲折がいろいろあったわけで、わたしがとんでもないこじらせプライドブスだったせいで散々迷惑をかけまくり、

それでも見捨てずにいてくださり、愛ゆえのお叱りと指摘をたくさんいただきました。

 

誰でもできることだとおっしゃっていて、そうだなあとようやく最近腑に落ちてきたのですが、そこに到るまでに必要なことって人それぞれだと思うんですね。

スッとできる人もいるんでしょうし、そうでない人もそのプロセスはきっと大切な学びなんだと思います。

 

わたしも、もっとスムーズにできてたらよかったのになあと思うこともあるけれど、

その間に経験したこと、痛さと向き合ってきたこと、勘違いゆえの暴走でいろんな人に迷惑をかけてしまったこと、それでもいまこうして生かされてここにいられること。

そのすべて、今はただ愛しいと心から思います。

結果オーライだからとかじゃなく、それぞれがすべて大切だと感じています。

これからだって何がどうなるかわからないんですから。

 

ほんとうに大切な視点をたくさん与えてくださった真穂さん。

どれだけ受け取れたかな、わたし。と思ったけど、それはきっとこれからのわたしが決めることですね。

 

思い返せば最初から同じことしか言われてなかったように思います。

 

そのままのあなたでいい、弱いままで、生かされているだけでいいんだって。

だから、恥ずかしい自分も情けない自分も、まず明らかに見ないと始まらないってこと。

そこにただ戻ればいいんだってこと。

 

きっかけは進路と、恋愛のことだったかな?

そういえば、当時も彼氏ほしいのにできないとかモヤモヤ言ってたきがするな。

うーん、そんな時代もありましたねえ。

なんというか、表面的なところで遊んでただけだったな。

プライド捨てたいけどこわくてできないとか、素直になりたいけどこわくてできないとか。

勝手に敵をつくって戦う世界にどっぷりはまってたな。

その世界でこちょこちょ何かやって変わろうと努力するんじゃなくて、【そもそもそこから抜け出そうよ】って何度も言われていたはずなのに、その視点を取り入れないで「変わりたくないわたし」の方を採用してましたね。

 

まあ、プライドが高かったのと。

わたしはとっても繊細だったのですね。

繊細で、傷つきやすくて、感じやすくて、いろんなことに敏感で。

そんな自分を守るために武器を振りかざして戦い続けていた。

「優等生」という武器や、

「人より優れている」という武器。

 

でも生身の本当のわたしは、ほんとうにただの女でしかなかった。

何もできない、与えられるしかできないただの弱い女。

 

そんなはずはないと必死に抵抗していたんです。

こんなに苦労してきたのに、こんなに頑張ってきたのに、ただの女なはずはないと。

わたしはただの女とは違う、特別なんだ、すごいんだ、と。

 

 

そういう、外側にくっつけてたものを全部ひっぺがしました。

醜い自分を明らかに見て、認めました。何もできないんだと。

できるだなんて思い上がるな!と。

わたし、本当に色んな人に迷惑をかけて傷つけてきたことが分かって、心底嫌になった瞬間があって。

 

ただただ申し訳なくて。

こんなにたくさんの人を勝手に恨んで勝手に傷つけていたのかと。

大切な人、愛や優しさをくれていた人でさえ、わたしの傲慢さで勝手に悪者にして攻撃していたのだと。

そして、わたしが「そこ」から降りない限りまた同じことを繰り返すのか、と思ったらもう本当に耐えられなくなりました。

 

しばらく辛かったし今もスッキリしてるわけじゃないんですけど、ようやく「決められた」んじゃないかと。

ようやく少しずつわかってきた気がしてます。

 

自分を大切にするということ。

与えられた自分のいのちを精一杯生きるということ。

外側の枠に自分を押し込めて、そこに当てはまるかどうかで自分の価値を決めるような生き方をしなくていいんだということ。

 

何がどうなっても絶対大丈夫にしかならない。

 

絶対的な安心感を感じました。

良い悪いのジャッジをやめたら、世界はほんとうに豊かでした。

戦いを降りて、「わたしすごい」をやめて、ただそのままの自分で生きる。

 

ようやく最後に真穂さんに「ほんとうに素のわたし」でお会いできたんじゃないかなと思います。

そんな感じがしました。

 

そのままのわたしで、ただの女であることを噛み締めて生きていたら、

ちゃんと素の望みも見えました。

 

わたし、社会貢献!とか世の中を正す!とか鼻息荒くやってたことがどうでもよくなっちゃって。

今も同じように活動はしているけど、もう視点が全然違うんです。

 

セッションで真穂さんにお話したか忘れたんですけど、

「問題が存在してない」ってこと。

 

解決するべき問題も、正すべき間違いも存在してません。もう、わたしの中では。

だから、できてもできなくても、正直どっちでもいいかなあと今は思います。

ただわたしは政治とかそういうことに関わる方がちょっと楽しいので、新しい視点や出会いがあるのが楽しくて行ってるだけになりました。

 

いろいろと頼まれ事もしますが、できることはやるけど全然がんばりません。

できないので。ないものは出せないので。

明らかに見たらわかったんですが、わたし本当にできないんですよね。

ちゃんとする、っていうのが。

計画を立てて順番通りに、ポイントを押さえてテキパキ、というのが、ほんっっっとにできない。

レスポンス遅いし、動くのがいちいち遅い。

 

それを「こんな自分じゃいけない!直さなくちゃ!」とあたふたするのをやめました。

足りないから埋める、というのをやめてみた。

 

そしたら意外と大丈夫だった。できないのでぼーっとしていたら意外と助けられていて、それがただありがたくて、感謝して受け取る。

だからお礼することが本当に増えました。というかそれくらいしかできないんですよね。

 

 

 

ひとつ気づいたのが、わたしの世界に問題が存在していないので、人に対しても自然とそういう視点になってたこと。

 

真穂さんに好きな人のノロケ(どれだけ好きで大切かという話)を聞いてもらってたのですが、

そこで「社会的に成功しているけどプライベートが散々」っていう人がなぜなのか、という話になって。

最近、真穂さんも「神様に生かされている視点」と「人間としての自分」というような言い方をされていますが。

それらを無理やり統合しようとするから歪むのだと。

どちらも対等に「在る」のだから、そのままでいいのだと。

 

わたしの好きな人も社会的に見ればとても成功されているので、

「神様みたいに崇められている」面もあり、でも

「ただの人間としてのその人」もあるんですよね。

もちろんお仕事の成果は凄まじいんですが、いのちとしては対等ですから。

それこそ【ただのオトコ】でしかないと思うんです。

 

 

わたしはそういう、ただの男でしかないその人も知りたいと思いました。

きっと嫌なところ、見たくないところ、弱いところだってたくさんあって、でもどんな彼のことも、弱くて汚いところでさえただ愛しいと、自然とそう思った。

 

 

好きだからそうなのか、そう思えるから好きなのか、どちらかはわからないけど。

ただ知りたいと思いました。

 

 

それは、わたしが関わる事でその人を「救ってあげる」なんて傲慢ではなく。

その人が「ダメ」だから「なんとかしなくちゃ」では決してない。

自分のことをただ明らかに見るように、

彼のこともただ明らかに見てみたいと思った。

 

そう決めたら不思議と【ただの男】なその人がちゃんと見えてくるものなんですね。

 

お仕事は本当に戦いの世界なので、日々批判や攻撃にさらされてるということも、つらつらとわたしに話してくれたりしました。

そうやってちょっと愚痴りたくなる日々の色々とか、本当はこういう部分の仕事は一部もうやめたいとか(本気ではないにしても)

 

プライド高い時代のわたしだったら、ここぞとばかりに出しゃばってたでしょうね。。

大変!なんとかしなくちゃ!って。

でもこのときわたしの中ではもう「問題が存在してなかった」ので、

最初から最後までなんとも思わなかったんです。

 

なんというか・・・本当になんとも思いませんでした。

 

わたしが、わたしとして生かされているだけで、こんなにも与えられていて守られていて、

絶対大丈夫にしかならなくて、怖さを味わう自由すら与えられていて。

 

それと同じように彼を見てたからではないかと思いました。

問題は存在していない、

だから、なんとも思いませんでした。

良いとも悪いとも言わずにただ聞いていました。

 

ダメなことが何もない、というか。

解決するべき問題がないって、こういうことなのかと。

人に対してもこんなにも穏やかでフラットな目線になれるのかと。

 

だから、自分を満たすことが何よりも大切なんですね。

ようやくわかってきました。

 

しかし人を好きになるってすごいことですね。

どんな存在としてのその人だって、どんな関係性になるとしたって、こうして今一緒にいられることが大切で、ただ存在してくれるだけで愛しい。

 

不思議なのは、現実的な望みもちゃんとある一方で、こういう神聖な、神様の目線のような気持ちも自然とあること。

本当に不思議です。不思議としかいえないことばっかりです、最近。

 

どちらの目線かわからないけど、ひとつ望むとしたら、

「結ばれたい」って気持ち。

魂とか肉体を超えたところで結びつきを持ちたい、というか。

よく男女はもともと一つって言いますけど、こういう感覚なのかな。

これは特定の誰かってことを超えた感覚なんですが、

もともと一つなら、そこに戻りたい、生み出したいと思うんです。

いのちを拡大したい、という願い。

 

あんなに望んでた外側のいろいろがどうでもよくなってしまって。

何かを得るとか、手に入れるとか、いかに勝ちポイントを増やすかとか、

そういう戦いの世界で得られるものはもうあまり興味がない。

あれば嬉しいかもしれないけど、一瞬だから執着しても疲れるだけ。

 

好きな人の子供を生み育てて穏やかに暮らせたなら、

ただの女として、与えられるものに穏やかに感謝して暮らせたなら、

それだけで何もいらないと思う。

今はそれが素直なわたしの望みです。

 

幸せを、

豊かさを、

安心と安全を、

穏やかさを、

愛を感じる世界を、

いのちを、

生み育て

拡大したい。

わたしは母になりたい。

 

あ、そうか、わたしは母になりたいってことですね。

母親かあ。あんなに嫌っていたのにな。

母親・・・

お母さんは、わたしにとって不幸の象徴だったのかもしれない。

救われなければならない存在、の筆頭が、母だった。

だからわたしは強くなりたかった。

強くなって、助けてあげたかった。

 

【母親=不幸な存在、犠牲者】と思っていた。

わたしがそうさせていたんですね。

 

ももう救われるべき人なんていないから、大丈夫なんだと思います。

母になりたい。

わたしがお母さんから生まれてきたように、わたしもお母さんになりたいです。

 

なんだか嬉しいな。

救わなくちゃいけない人や、問題はないんですね。

ただ一緒に、穏やかに、笑って過ごせたらいいな。

 

 

今日の記事は、たくさんの愛をくれた真穂さんに。

最大限の愛と感謝をこめて。

 

お読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

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