読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

始末に困る人

背伸びしないで、かっこつけないで、素直に生きてみる

絶対に自分の中心だけは明け渡さない。私は私を他の何ものにも渡さない。【私の考える「自分を生きる方法」】

 

今日は久しぶりに一日お休みがとれました。

本当は予定を入れていたんですけど。

さすがに体がもたないなーと思って、申し訳なくも先方にキャンセルの電話をしました。

 

最近の動向だけ見るとバリバリ行動派みたいに見えるかもしれないんですけど、

私は本当は出かけるの面倒なインドア派ですし、

怖がりでビビリで引っ込み思案な小心者なんです。

本当に社会性ゼロでしたからね!友達少なかったし。

友達の輪に入れるかどうか、仲間はずれにされないかどうか、ビクビクしながら過ごしてた。

 

だから上記みたいなキャンセルの電話もですね、今までだったら

「急にキャンセルだなんて、迷惑をかけてしまうな・・・」とか、

「向こうも準備してくれているだろうし、無理してでも行かなくちゃ・・・」って

思って、とてもできなかったと思うんです。

 

今ももちろんこういった罪悪感はすごーくあります。

電話一本かけるのに、携帯握りしめてそわそわしながら歩き回り、

真穂さんのブログ読み返して勇気を奮い立たせたり(笑)してようやく

えいっ!!という感じで発信してますからね。

 

真穂さんて誰?という方はこちら

santasantasan.hatenablog.com

 

 

でも、基本は「自分最優先」ですから。

キャンセルすることで、そりゃ多少は何だよって思われたりするかもしれないけど、

だから何?

 

もちろん相手に誠意を持って謝り、丁寧にお願いするのは前提ですよ。

私は、大切な自分の体を優先した結果、キャンセルしようと決めて

最大限誠意を持って動いたわけですから、自分の中ではそこで完結しているというか。

 

それに対して相手がどう思うかはもう私の世界の問題ではない。

だから放置。

たまに思い出して「あーやっぱり申し訳なかったなー」ってなっても、ただそれだけです。

それによって私の今が影響されることはない(と自分で決めている)。

 

私は最近ようやく重い腰上げて好きなことをやって動いてみて、

いろんな人に変わった、明るくなったと言ってもらえることが多くなりました。

でもそれは、私が何か特別な能力を身につけたとか、知識や資格を得たとか、

性格を変えるように努力したとか、そういう外側のことって何も関係ないんです。

というか、そういう努力をしなければならないと言われたら私には絶対に無理です。

 

強いて私が努力したことを挙げるすれば、

絶対に自分のことだけは諦めなかったことです。

 

私は私自身と徹底的に向き合ってきました。

真穂さんと出会う前からもいろんなきっかけを機に、

自分はどうしたいのか?自分を生きるとはどうすることなのか?を考えていました。

 

私のクセは理論や理屈で白黒つけようとするところで、

だから本やブログを巡って情報や法則を漁り、理論的に明らかにすることで、

その原因を取り除けば幸せになるはずだと思ってました。

 

ポイントがずれまくってたので、だからずっと変わらなかったわけなんですけど、

その間もずっと「自分と向き合う」ことだけは諦めませんでした。

 

だから今、真穂さんの力を借りてようやく「ここ」っていうポイントが

体感として分かり始めてきたとき、これまで徹底的に向き合ってきた自分の内観が、

ああそういうことだったのか、って腑に落ちるのがわかるんです。

 

例えば、自分の嘘偽りない本音の思い。本当に望んでいること。叶えたい願い。

どういう時に楽しくて、どういう人が好きで、どういう関係性が心地良いのか。

どういう時に苦しくて、どういう人が嫌いで、どういう関係性を排除したいのか。

何度も何度も、出来事が起こる度にそれと向き合って、自分の感情を感じて。

 

それがあったので、今「決めて動く」だけだということが心底腑に落ちたとき、

自分自身の思いを、願いを、望みを、

明らかに見て、受け止めて、ああこれなんだ、と納得することができている。

 

でも、その前提があった上で、

じゃあどうする?を考えるのは、その瞬間にしかできないこと。

だからそこで決める。こう動くと決めてみる。

 

そこで動くと決めても、例えばテイクが少ない新規分野だったりすると、

慣れていない新しいことだったりするので、

上記の私のように、電話一本かけるのにものすごく勇気がいる。

不安や怖さがどんどん膨らんでくる。それは仕方ないことだと思う。

 

で、その不安や怖さに負けて屈服する(やっぱり動かない)のか、

その不安や怖さを抱えながらも、どんなに惨めな姿になってでも、

大切な自分のためにそこを越えて動くのか、

 

私に選択できるのはそれだけだと思ってます。

これはどっちが正解という話でもなくて、どちらを選ぶかは完全に私の自由。

 

そして、その結果としてこうなったという現実(望み通りになったとか願いが叶ったとか)

そんなことは本当にどうでもいいことだと思うんです。

もちろん望み通りになったら嬉しいし、そうなってほしいと思う。

でもそこを最優先したら、大切な自分のために動くかどうかという

せっかくの重要な視点がうやむやになって隠れてしまうと思うんですね。

 

こうして見ると、本当にシンプルなこと。

真穂さんもずっとおっしゃっていたけど、本当にただこれだけのこと。

 

自分自身のことだけは、一切の妥協も誤摩化しも嘘も許さない。

自分の軸は自分が決める。

私はやっぱり小心者で、何よりも人目を気にしてしまうビビリだけれど、

人に気に入られるかどうかを私の中心になんか置いてやらない。

 

絶対に自分の中心だけは明け渡さない。

私は私を他の何ものにも渡さない。

 

自分らしく生きる、動く、好き勝手やってみる、を実行していると、やっぱり摩擦も起きます。

私から離れていった人もいました。

もう何年も前から仲良くしてくれて、とてもお世話になった大好きな人でした。

 

私は人が大好きだしみんなと仲良くなりたいと願ってしまうので、

人に嫌われること、離れていかれること、は何よりも悲しく辛いことです。

けれど、

なんというか、最近は私の世界や器が広がった分だけ、

それまで固執していた出来事や、特定の人との関係という枠組みが相対的にどんどん小さくなってきていて。

 

一言でいうと「どうでもいい」

 

決して悪意のある投げやりな「どうでもいい」ではなくて、

私はこうなんだから、悲しいけど仕方ないな。どうでもいい。ということです。

 

このまま私がもっともっと自分を生きて、自分の道を切り拓いて自由に生きるなら、

離れていく人、がっかりする人、私をよく思わない人、合わなくなる人、

出てくると思います。

 

でも、これまで出会ってきた人、特に今一緒にいてくれている大学関係の人や

趣味やサークルの友人達、そして真穂さんをはじめとする素敵な女性のみんな、

 

私が好きな人たちを私はこれからもずっと好きだろう。

 

それだけを私がわかっていればいいと結論を出せたので、少し落ち着きました。

 

さて今日はこれから趣味の活動にいってきます。

ここでも今日ちょっとした宣言をしなきゃならなくて、

いつものごとくビビりまくっている私ですが、

自分で決めたことだから関係者にはちゃんと言わなくちゃ。

 

今日はこんなところです。