ずいぶん間が空いてしまったけど、ここ1ヶ月を振り返って感じたことを書いてみようと思います。
結論からいうと、何も悪いことはないんです。
えっと、たぶん世間一般から見て、「それ”ふつう”問題でしょ!?」ってことは、いっぱいあると思います。
家族がめちゃくちゃなこととか。結婚の話も白紙に戻るかもしれません。
環境も、私以外の人も、何も変わってないです。
でもそれを、”問題”とみる私の心が、なくなってきたと思います。
なんだろう、”問題”、なんではなくて。。「ただの事実」で、じゃあそれに対して私はどうしようかって思ってるってことです。
といっても、渦中の時のように「なんとかこれを変えねば!!!」っていう意味のそれではなく、
「外側の世界を私は変えられないのだ」という前提に立った上で、私はどうするのが好みかな、どうしていこうかな、、と考えている感じ。
私、今実家にいるんですけどね。
また家を出ることにしました。引越しももう何度もしてきたので準備も慣れたものです。
不動産屋さんに行ってサクッと決めてきました。
で、
仕事のことなんですが、
私は忙しく働くとかプレッシャーが嫌すぎて研究の前線から降りたんですが、
確かにそのおかげで今はすごーく好条件で働かせてもらっています。
仕事に関しては嫌なこと、ひとつもないです。本当に恵まれてると思います。
でも、、その環境にいたら。
といってもまだ1ヶ月もたってないんだけど、
もっとこういうことやってみたいなーって気持ちがむくむく湧いてきました。
心に余裕ができたからなのかな。
前にも何度かちょこちょこ語っていた受精と性差のおはなし。
(「男女の遺伝学シリーズ」は無期限停止中です^^;すみません、また気が向いたら書きます。。)
この分野で、ボスの知人に著名な研究者の方がいるのですが、ふつうに応募しても雇ってもらえるかわからなくて、でもダメ元で自分で科研費応募してみようかと思うんですね。
んーと、簡単にいうと、自分でお給料を国から受け取る権利を得ることで、どの研究者のところにも行ってもいいよ!というシステムです。
受け入れ先からしたら「カモがネギしょってくる」おいしい状態なので(タダ働きしてくれる労働者が勝手にやってくる)、断られることはまずないです。大人の事情がないかぎり。
当然、このような魅力的なシステムなので応募者も多く、合格は激ムズなのですが。
せっかく4月から恵まれた環境で働かせてもらえているのに、
家庭のことで私はいつも心が沈んでいて、仕事も手につかない状態が多かったんです。
でも、前述の「何も問題ない」の感覚を少しずつ掴んできて、
ああそうはいってもこんなに恵まれた職場に置いてもらえているな、
みんな優しくて私は笑えているな、とか、
でもご飯はおいしくて生きているなあ、とか、、
今与えられているのがこんなに素敵なものだってことを思い出してきて。
その気持ちで、改めて仕事に向かったら思いの外楽しかったんです。
同じことしているのに。気持ちでこんなに違う。
そしたら、自然と「もう少し頑張れるかも」って思いました。
嫌だけど頑張らなきゃいけないし、じゃなくて。
私はそもそもきっかけが「こんなに頑張ってるのにちっとも人生よくならなくて、満足できなくて、心に余裕がなくて苦しい」で生き方を変えたので、
「頑張って何かをすること」に対するアレルギー?があるのかもしれません。
もうあんな苦しい思いは嫌だって。
それがあったから、「頑張らなくてもいい、プレッシャーや責任のないポスト」を望み、それになりました。
結果とても楽になったしよかったなあと思っていますが、
なんというか、あの頃の「頑張らないといけない(でないと認めてもらえない)」というプレッシャーと、
今の「もう少し頑張ってみたい。これをやってみたい」の”頑張り”は、全然性質が違うんじゃないかって思うんです。
もちろん選んだ結果「やっぱ大変だわ・・・無理」ってなるリスクだってあると思うけど、
それもやってみないとわからないなら、一歩踏み出すのもありかなあ〜と思ったんですよね。昨日急に。
なので応募してみようと思っています。なんかわくわくするな。
長くなってきたので二つに分けます。