始末に困る人

背伸びしないで、かっこつけないで、素直に生きてみる

最後は、わたしがいる。だから絶対大丈夫。

久しぶりに更新したと思ったら何のこっちゃというようなタイトルですみません。
 
 
今、真穂さんのブログをふと読み返したくなったり、
 
自分にここ数ヶ月で起こった変化を思い返したりしていて、
 
自分を大切に生きるって、結局なんだったんだろうなあと考えていました。
 
 
何度か核心に触れた感覚があって、
 
でも感覚だから、ノートに言葉で書き留めておいてもあんまり意味がないんですよね。
 
読み返した時にはもうその時のわたしではないから。
 
 
ノートもあんまり見返さなくなりました。
 
前は、苦しいことが起こったりすると、過去の出来事にヒントがあるかもと思って熱心に見返してたんですけど、
 
それで答えが見つかった試しがないというか、
 
根本的なところには全然関係がないのだなあと。
 
結局、今感じていることでしかないのだなと、思います。
 
 
 
びっしり書き込んで真っ黒になったノートをしみじみ見てみて、思ったこと。
 
わたしはわたしに愛してほしかったんだなと。
 
 
わたし、ずっと外に求めていたんですね。
 
両親に愛してほしかったんです。
 
わたしの方を見て、
 
わたしに関心を向けて、
 
わたしの話を聞いて。
 
どうか、わたしを認めて、愛してほしいって、思ってた。
 
 
 
その対象が、大人になるにつれて、
 
家族から、友人、好きな人、に拡大していって、
 
いつも欲しがってたなあ。
 
くれ、くれって、外側に求めてばかりいました。
 
そのために、「もらえるわたし」になるために、
 
 
能力を磨いて、いい子を演じてみたり、
 
あるいは弱者をあえて装うことで同情してもらおうとしたり。
 
 
でも、他人はもちろん、両親でさえ、わたしを本当に満たしてはくれなかった。
 
だって一番わたしが愛してほしかったのは自分自身だったから。
 
 
ノートが真っ黒になるくらい、わたしはわたしに聞いてほしいことがたくさんあったんですよね。
 
本当はこうしたいんだって、叫んでいたんですよね。
 
でも、そんな声は「いい子」でいるためには邪魔だったから、
 
無視して、押さえつけて、うるさい!って叱り飛ばして、
 
両親や、他人のご機嫌を伺うことばかり考えて。
 
 
 
わたしが、一番見なくちゃいけないのはわたし自身だったのに。
 
だから、この生き方を始めてから、何より自分にたくさん謝らなくちゃいけなくて、
 
気づかなくてごめん、ひどい扱いばかりしてごめんねって、
 
そう言ってあげる度に、安心感や嬉しさと、これまでの申し訳なさで泣けてきました。
 
 
不思議ですね。
 
自分のことなんて、よくわかっているつもりだったのに。
 
自分のことを、一番無視していただなんて、考えもしなかった。
 
 
わたし、自分がこんなに生きづらいのは寂しがりすぎるせいだって思っていて、
 
一人になるのが怖くて仕方なかったんです。
 
いつも人を求めてた。一人が嫌だった。
 
 
今、振り返ってみて、
 
わたしは相変わらず寂しがりだし、一人でいたくない時もたくさんあるんだけど、
 
でもそれすら受け入れられるって思っていることに気がついて。
 
 
それは、こうして自分で自分のことをちゃんと見てあげているからだなと。
 
だって、一人じゃないんです。
 
わたしがいるから。
 
 
世界中の誰もが見てくれなくたって、
 
ひとりぼっちに思えたって、
 
世界がどうなろうが、肉体さえなくなろうが、
 
最後は、わたしがいる。
 
 
外側のものを全部なくしていっても、わたしの命だけは最後までわたしと一緒で、
 
だから大丈夫にきまってる。一人じゃないから。
 
 
ああ、だからこんなに穏やかなんだなあと、ふと思ったんです。
 
今この瞬間、わたしがわたしを愛していると感じられること、
 
これ以上の幸せはない。
 
 
自分を大切にするって、そういうことだったのかなあと思いました。
 
何か、強い自分に生まれ変わるとか、
 
何かを得ることで幸せを感じよう、とか。
 
そういう次元とは全く違うものでした。
 
 
わたし、そんな簡単なことに気づくまでにずいぶんかかってしまったんだけれど、
 
そのおかげで得られたご縁や、経験や、傷ついて泣いたことも、苦しくておかしくなりそうだったことも、
 
すべて「これでよかった」と単純にいえるかわからないけど、
 
でもそれ以外の道はやっぱりありえなくて、
 
このわたしで、このわたしという魂、命だったからこその唯一無二のもので、
 
だからやっぱり完璧というしかないんだなと思います。
 
 
わたしはずっと愛がほしくて、幸せになりたいと思って生きてきたから、
 
それがこんなすぐ近くにあると思えなかったんですよね。
 
 
でも今、少しずつ、でも確かに満たされてきていて、
 
そうすると、自分の器にじゅうぶん注いでもらったぶん、
 
やっぱり誰かと分かち合いたくなる。
 
 
「わたしを愛してもらうために」与えるのではまったくなくて、
 
「わたしが満たされているから」一人でいられないんです。
 
幸せだから、人と分かち合うことでそれをどこまでも拡大したくなるんです。
 
 
今、そんな感覚です。
 
 
で、わたしの人生に、やっぱり研究はなくてはならないと確信しています。
 
疲れ果てていたときはひたすら休みたかったんだけれど、
 
やっぱりわたしはそういうふうにはできてないらしい。
 
 
専門の遺伝学を駆使して、解明してみたいことがあるのですよ。
 
わたしは人生かけてそれをやりたいんです。
 
好きな研究しているときが一番わたしが輝く瞬間だとわかったから。
 
それによって、評価してもらおうとか出世しようとか、
 
そんな気持ちが全然なくて、ただ、わたしのためにそれをやりたい。
 
そして、分野の垣根を超えて、できれば政治家の人とコラボしてある企画をしてみたいんです。
 
具体的なルートは全然わからないんだけど、想いのタネが自分の中にあるので、もう意識がそこに向かって止められない。
 
 
 
一番大切なこと、
 
何があっても、最後はわたしがいるってわかったから。
 
すべてはその上に展開されていくから、きっともうだいじょうぶ。
 
自分にも、あとやっぱりきっかけをくれた真穂さんにも、
 
関わってくれるすべての人にも、
 
感謝しかないなあと。
 
改めて思ったのでした。