グンマー県民がいろいろ語るよ

勉強会に誘われればホイホイついていくグンマー県民が学んだことをまとめたり感想書いたりしています

沖縄旅行記その1@ひめゆりの塔

 

ひめゆりの塔沖縄に来たら行きたかった場所その1

 

f:id:gungungunmachan:20181002200927j:plain

 

f:id:gungungunmachan:20181002200951j:plain

 

大東亜戦争中、沖縄戦で負傷兵の看護など後方支援に当たった沖縄県立第一高等女学校の生徒たちの慰霊塔。

 

祖国のために尊い命を捧げてくださった英霊達へ、感謝の念と、次は私達が日本を守るために頑張りますとお約束してきました。

慰霊塔は静謐な雰囲気だったのですが、
奥にあるひめゆり平和祈念資料館」について、残念な点が一つ、

 

いや一つどころじゃなかったんだけど簡単に書くね

 

 

資料館のさりげなく思想誘導してる感がすごい

ちなみに資料館内は撮影禁止でした。

しかし解説が特定の方向に偏りすぎでした。

 

大東亜戦争の簡単な背景から始まり、

沖縄戦の概要、戦況、戦死者数や当時の様子などが詳しく解説されていくのですが、

 

八紘一宇とは? → 天皇が世界を支配する為に利用したスローガン

太平洋戦争とは? → 日本がアジアを侵略したせいで始まった

沖縄戦はなぜ起こったの? → 沖縄は本土を守るための捨て石にされた 

 

なにこの特ア三国が泣いて喜びそうな解説は

 

「戦争はとにかく悲しいです!あと天皇と日本軍は悪」感が

そこかしこに散りばめられており、

 

たぶん何も知らずに見たら

 

天皇は世界征服を企んで国民を戦争に行かせた悪いやつ」

「日本軍は嫌がる民間人を強制的に戦わせ、物資を没収し、街を蹂躙したひどいやつら」

 

って思うんじゃないでしょうか。

 

というかそもそも太平洋戦争じゃないよ。日本人なら大東亜戦争って言おうよ。

(太平洋戦争=Pacific War は欧米側の呼称で、日本政府が閣議決定したのは「大東亜戦争」の方なのに)

 

 

 

沖縄の民間人の犠牲者は約9万人!・・・なのは「日本軍のせい」?

 

沖縄戦の戦死者は約20万人と言われており、

そのうち沖縄県民間人は約9万2000人。

当時の人口の約2割が犠牲になったとされています。

 

そのことについて資料館は、

 

大本営(日本軍の総司令部)は本土決戦を1日でも遅らせるため、沖縄を本土防衛のための捨て石にする方針をとりました。

そのため、沖縄では主に南部において米軍との激しい戦闘が繰り広げられ、多くの民間人が巻き込まれ犠牲になりました」

 

というような説明をしていたのですが、

 

うん、確かに数字はそうなんですけどね

 

なんで一方的に日本軍が沖縄の人を殺したみたいな書き方をするの?

 

普通に考えたらわかりそうなものですが、

民間人の犠牲は米軍の空襲によるものがほとんどで、

そもそも戦争において民間人の居住する都市などを攻撃するのは本来なら国際法違反です。

守ってる国の方が少ないみたいだけど

 

確かに軍の方針は「本土防衛」にあったことも事実ですが、

「沖縄をただの捨て駒としか考えていなかった」とは、なぜわかるのでしょうか?

 

それはお前の妄想じゃないのか

 

まあそれも一つの見方だよねということで妄想を書くのもかまわないんだけれども

 

日本人なら「当時の日本人は立派に国を守ってくれた」って話を一緒に書いたってよくない?

 

ということで当時の沖縄県知事について書かねばならない。

 

 

二人の沖縄県知事と、沖縄南部に戦跡が多い理由

 

有名ブログ「ねずさんのひとりごと」の引用になりますが、

ねずさんのひとりごと 沖縄戦の二人の知事

 

当時の沖縄県知事・泉守紀が保身の為に民間人の本土疎開に反対し続けた結果、

米軍が沖縄へ迫り来る直前になっても沖縄には大量の民間人が残っていたそうです。

 

そこで仕方なく老人と女子供を優先して沖縄北部に疎開させたため、

日本軍は南部を中心に戦闘を展開するしかなかった。

 

だから首里城以南、沖縄本島南部に戦跡が多いのですね。 

 

また、そのせいで日本軍は

 

北部に疎開した民間人を守るため、敵を南部に引きつけつつダメージを与える

 

という、

ただでさえ米軍と圧倒的な兵力差があるのにさらにハンデを負わされた形で戦わざるを得なかったのです。

 

そんな状況で民間人虐殺とかしてる暇があるわけないだろ

 

それでも戦ってくれたんです。

 

日本を守るために。

 

 

そして、泉知事のせいで疎開が遅々として進まない中、

後任としてやってきたのが島田叡(あきら)氏でした。

 

沖縄戦の直前、1945年1月のことです。

行けば死ぬとわかっていて、引き受けた。

 

そして島田知事は着任後すぐに沖縄駐留軍と緊密に連携をとりながら

北部疎開や食料確保など行政の指揮をとり続け、

7月に殉職するまで最後まで沖縄を守る職務を全うされたそうです。

 

これね、旧海軍司令部壕のところも後で書くけど

沖縄県民斯ク戦ヘリ」という有名な電報があるのです。

 

沖縄県民がいかに献身的に協力してくれたか、讃える内容なのですが、

 

知事や軍人がクソだったら県民がそんなに協力的になるわけないよね

 

こういう立派な人物が当時の日本の要職にはたくさんいた。

だから国民が心を一つにしてみんなで頑張ろうという流れになったのもあるんじゃないかなと思う。

 

戦争の悲惨さを訴えることが大事なのは当然、だけど


君の祖先は人殺しのひどいやつなんだよ

 

と子供に教えることが正しいとは私は思わない。

 

たとえそれが事実であってもね。

米国人なんか日本への原爆投下を正義だったと教えてるんだからね。

 

事実の捏造はいけませんが、

 

「私たちの祖先は立派に国を守ってくれた」

「そのおかげで今の私たちがある」と

 

日本人である私たちが教えなくてどうするんですか

 

 

そして戦争が嫌なら「どうすれば戦争を防げるか」を現実的に考える視点も必要。

 

なぜ戦争になってしまったのか、

なぜ勝てなかったのか、

 

謙虚に学んで次に生かさなきゃ何の意味もない。

 

資料館とはそういう場所であるべきだと私は思うわけ。

 

 

その2に続きます。。